の注意をひいて、主人の織衛は笑いながら訊いた。
「石川、どうした。気でも違ったか。」
「いや、気が違ったとも思いませんが……。」と、石川は俯向きながら答えた。「しかしまあ気が違ったようなものかも知れません。考えると、どうも不思議です。」
不思議という言葉に、人々は耳を引立てた。一座の瞳《ひとみ》は一度に彼の上にあつまると、石川もだんだんに気が落ちついて来たらしく、主人の方に正しくむかって、いつものようにはきはきと語りつづけた。
「出先によんどころない用が出来て、時刻がすこし遅くなったので、急いで家を出て、鬼ばば横町にさしかかると、横町の中ほどの大溝のきわに、ひとりの真っ白な婆が坐っているのです。」
「やっぱり坐っていたか。」と、堀口は思わず喙《くち》をいれた。
「むむ、坐っていた。」と、石川はうなずいた。「おかしいと思って近寄ると、その婆のすがたは見えなくなった。いや、見えなくなったのではない。いつの間にか二、三間さきへ引っ越しているのだ。いよいよおかしいと思って又近寄ると、婆のすがたは又二、三間さきに見える。なんだか焦《じ》らされているようで、おれも癪に障ったから、穿いている足駄を
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