て》づたいに歩み去って、濠の中へはいってしまったので、さてはお濠に棲む河童《かっぱ》であろうと思った。男の子はその後しばらく姿を見せなかったが、ある日又たずねて来て、さきごろの飴の礼だといって、一枚の銭を呉れて行った。銭は表に馬の形があらわれていて、裏には十二支と東西南北の文字が彫られてあったということである。こうした類の怪談は江戸時代の山の手には多く伝えられていたらしい。
 そこで、今夜かの三人の若侍が見たという怪しい老婆も、その場所が鬼婆横町であるだけに、もしやかの伝説の鬼婆ではないかという疑いが諸人の胸にわだかまって、歌留多はそっちのけに、専らその妖婆の問題を研究するようになったのである。
「石川は遅いな。」と、言い合せたように二、三人の口から出た。
 その時である、用人の鳥羽田重助があわただしくこの座敷へはいって来た。
「石川さんが御門前に坐っているそうでございます。」
「石川が坐っている……。どうした、どうした。」
 待ち兼ねている人々はばらばらと座を起った。

     二

 石川房之丞が高原の屋敷の門前に坐っていたというのは、門番の報告である。門前が何か物騒がしいように思ったので、彼は窓から表を覗くと、一人の侍が傘をなげ捨てて刀をぬいて、そこらを無暗に斬り払っているようであったが、やがて刀を持ったままで雪のなかに坐り込んでしまった。
 酔っているのかどうかしたのかと、門番は潜《くぐ》り門をあけて出ると、それはかの石川房之丞であることが判った。石川はよほど疲れたように、肩で大きい息をしながら空《くう》を睨んでいるので、ともかくも介抱して玄関へ連れ込んで、その次第を用人の鳥羽田に訴えると、鳥羽田もすぐ出て行って、女中たちに指図してまず石川のからだの雪を払わせ、水など飲ませて置いて奥へ知らせに来たのであった。
「さあ、しっかりしろ、しっかりしろ。」
 大勢に取巻かれながら、石川は座敷へはいって来た。石川はことし二十歳《はたち》で、去年から番入りをしている。彼の父は小笠原流の弓術を学んで、かつて太郎射手《たろういて》を勤めたこともあるというほどの達人であるから、その子の石川も弓をよく引いた。やや小兵《こひょう》ではあるが、色のあさ黒い、引緊った顔の持主で、同じ年ごろの友達仲間にも元気のよい若者として知られていた。その石川の顔が今夜はひどく蒼ざめているのが人々
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