もかの八股《やまた》の大蛇《おろち》や九州の緒形三郎の父の伝説の如きは、この男性的の系統を引いているらしいが、大体に於て支那の蛇妖は男性的、我国の蛇妖は女性的が多い。
そこで、支那と我国との怪談の相違を求めると、狐狸と一口にいうものの支那では狸の化けたということは比較的少い。決して絶無というわけではなく、老狸の怪談も多少伝えられてはいるが、狐とは比較にならないほどに少い。狸の怪談は我国の方が普遍的であるらしい。もっとも支那では熊が化ける、猿が化ける、猪が化ける、鹿が化ける、兎が化ける、犬が化ける、猫が化けるというわけで、大抵の動物はみな化けるのであるから、狸ばかりが特に跋扈《ばっこ》することを許されないのかも知れない。前にもいう通り、猫も勿論化けるのであるが、我国の猫騒動などというような大掛りの怪談はない。我国では、ややもすれば「化け猫」などという言葉を用いるが、支那では猫を怪物とは認めていないらしい。狸と猫は我国に於て、特に化物扱いをされてしまったのである。
生れ変るというのは別問題として、支那では人間が生きながら他の動物に変ずるという怪談が頗《すこぶ》る多い。殊《こと》に虎に変ずる例が多い。『捜神記』には女が海亀に変じたという話もある。我国には虎が棲《す》まないために、虎の怪談は絶無であるが、さりとて生きながら他の動物に変じたという怪談も少いようである。
支那でも河童《かっぱ》というものを全然否認してはいないで、水虎などという名称を与えているのであるが、河童の怪談などは殆ど聞えない。それに似たような怪談は獺《かわうそ》か亀のたぐいが名代を勤めているようである。河童の正体は恐らく、すっぽん[#「すっぽん」に傍点]であろうと察せられるが、どうしてそれが河童として、日本全国に拡められたのか、これだけは殆ど我国の独占といってよい。それに反して、竜は支那の専売である。我国でもたつ[#「たつ」に傍点]といい、竜巻きなどともいうが、竜に関する怪異を説いた人は少い。畢竟《ひっきょう》は竜に類する鰐魚《がくぎょ》や、巨大な海蛇などが棲息しないためであろうと思われる。
支那には魚妖の話がしばしば伝えられている。魚類が男に化け女に化けて種々の妖をなすのであるが、これも我国には稀れである。支那に鮫人《こうじん》の伝説はあるが、人魚の話はない。ただ一つ『徂異記《そいき》』のうちに高麗へ使する海中で、紅裳を着けた婦人を見たと伝えている。我国でも西鶴の『武道伝来記』に松前の武士が人魚を射たという話を載せているが、他には人魚の話を書いたのは少く、人魚という名が遍《あまね》く知られている割合に、その怪談は伝わっていないらしい。
支那にも、我国にも怪鳥という言葉はあるが、さて何が怪鳥であるかということは明瞭でない。普通に見馴れない怪しい鳥を怪鳥ということにしているらしい。我国では、先ず鵺《ぬえ》や五位鷺《ごいさぎ》を怪鳥の部に編入し、支那では※[#「休+鳥」、第4水準2−94−14]※[#「緇のつくり+鳥」、341−3]《きゅうし》を怪鳥としている。※[#「休+鳥」、第4水準2−94−14]※[#「緇のつくり+鳥」、341−3]は鷹に似てよく人語をなし、好んで小児の脳を啖《くら》うなどと伝えられている。天狗も河童と同様で、支那ではあまりに説かれていない。『山海経《せんがいきょう》』に「陰山に獣ありそのかたち狸の如くして白首、名づけて天狗といふ」というのであるから、我国の天狗には当嵌《あては》まらない。我国のいわゆる天狗は鷲の類で、人をつかみ去るがために恐れられたのであろう。
こんな風に種類分けをすると、支那とはよほど相違しているようであるが、それは単に形の上の相違にとどまってその怪談の内容は大抵支那から輸入されていることは前にいった通りである。
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「不同調」
1928(昭和3)年12月号
初出:「不同調」
1928(昭和3)年12月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング