、その平和の破れる時節がだんだん近づいて来た。
 友之助の母お銀はその以前からお筆を嫁に貰いたい下心《したごころ》があった。お筆はことし十八で、来年は十九の厄年にあたるから、なるべくは年内に婚礼を済ませてしまいたいとお銀は思った。勿論それは溝口夫婦の同意を得なければならないのであるが、第一に本人同士の意思を確かめておく必要があるので、お銀はまずせがれの友之助に相談すると、かれは故障なく承知した。
「阿母《おっか》さんさえ好いというお考えならば、わたしに異存はありません。」
 そこで、友之助が役所へ出て行ったあとで、お銀はお筆をそっと呼んで、かの相談を打明けると、お筆はその返事を渋っていて、自分は他家《たけ》の厄介になっている身の上であるから、まだ当分は嫁に行くなどという気はないと答えた。お銀は年寄りで気が短かい。一旦思い立った以上、どうしてもこの相談をまとめてしまいたいと思って、いろいろに説得してみたが、お筆はいつまでもあいまいな返事をしているので、お銀も年寄りの愚痴やひがみもまじって、どうでわたしのせがれのような者はあなたの気には入るまいとか、碌な月給も貰わない安官員では士族のお嬢さ
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