て飛び上るのを喜んでいるものもある。巡査は笑って見ているばかりで、今夜は決して叱ろうとはしない。
 群衆は我々と前後して、暗い木立の下を縫ってゆく。バッキングヮムの宮城前へ集まるのである。宮城前の広場にはもう幾万人か屯している。
『キング! キング!』と叫びながら駈けてゆく者がある。我々はそのあとに付いて駈けてゆくと、露台には灯火が燦として輝いて、英国皇帝陛下も皇后陛下もそこに正しく立ってられるのが夜目にも仰がれる。陛下からどう云う御会釈のお詞があったか、遠方からは勿論聴き取れなかったが、幾万の群衆はどっと声をあげて、帽を振るものもある。ステッキやハンカチーフを振るのもある。陛下のお姿が窓にかくれて、露台が闇につつまれた後も、宮城の森に反響する歓呼の声はしばらく止まなかった。
 帰りはなるべく混雑の少い抜道を択んで、もとのオックスフォード・サアカスまで帰りつくと、夜風の寒いのが初めて肌にしみた。暗い雲はだんだんにちぎれかかって、その袖の下から白い星が二つ三つ瞬きもせずに下界を視つめているらしかった。宿へ帰って時計をみると、今夜はもう十二時を過ぎていた。
[#地から1字上げ](大正八年六
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