あわせたのであるから、並大抵の言い訳ではお絹はどうしても承知しなかった。
「お此さん。おまえさんも強情を張らないで、知っているだけのことは言っておしまいよ」と、お花もそばから口を出して責めた。
「だって、お前さん。あたしがその本人じゃあるまいし、人のことがどうして判るもんですかね。そんな無理なことを……」
半分言うか言わないうちに、お絹は黙ってお此の腕をつかんだ。
「あ、姐さん。どうなさるんです。ひどいことを……」
振り放そうともがくお此の痩せ腕を、お絹は挫《ひし》ぐるばかりに片手でしっかり掴みながら、片手で箱をとんとん[#「とんとん」に傍点]と叩くと、穴の中から青い蛇が長い首を出した。お絹はその鎌首をつかんでずるずると引き出して、お此の鼻の先へ突きつけた。
「さあ、言わないか」
お此は真っ蒼になって口もきけなかった。彼女は死んだ者のようになって唯ぼんやりしていると、お絹はものすごい眼をしてあざ笑った。
「じゃあ、隠さずに言うかえ。なんでもいいからお前さんの知っているだけのことを言っておしまいよ」
世にもおそろしい蛇責めに逢っては、お此もしょせん逃がれる術《すべ》はないと観念したらしい。自分の知っているだけのことは何でも言うから、ともかくもその蛇をしまってくれと顫《ふる》えながら頼んだ。
「お前さん、知らない筈がないじゃあないか。お前さんがお里の家のすぐ近所にいるということも、あたしはちゃんと知っているんだよ」と、お絹は嚇《おど》すように睨んだ。蛇をつかんでいる手はまだ袂の下に隠していた。
お絹が根ほり葉ほりの詮議に対して、お此も知っているだけのことを何でも答えた。しかし十四日の月を踏んでお里が林之助に送られて帰ったことは、二人のほかに知る者はなかった。お此もむろん知っていなかった。
お絹がお此を残酷にさいなんで、ようよう聞き出した新しい事実は、以前よりもこの頃はお里の店へ林之助が足近く通って来るというだけのことに過ぎなかったが、それだけのことでもお絹の胸の火をあおるには十分であった。
「お此さん、ありがとうよ」と、お絹はわざと落ち着いたような声で言った。「もうそのほかにお前さんの知っていることはなんにもないんだね」
林之助がどんな着物を着ていたとか、どんな菓子を買って食ったとか、お里にどんな冗談を言ったとか、茶代は幾らぐらい置いたらしいとか、そんなことまで残らずしゃべり尽くしてしまったお此は、もうこの上はおそろしい蛇を頸《くび》に巻き付けられても、なんにも口から吐き出す材料はなかった。
「後生《ごしょう》ですからもう堪忍して下さい。まったく何んにも知らないんですから」と、お此は手を合わせないばかりにして、自分に詐《いつわ》りのないことを訴えた。
「もういいでしょうよ。姐さん」
お花も見かねて取りなし顔に言った。自分が先き立ちになってお此を責めたのではあるが、蛇責めのむごい拷問《ごうもん》には彼女もさすがに驚かされた。
罪のないお此をそれほどに窘《いじ》めるのも可哀そうだと思ったので、お花も仕舞いには却ってお絹をなだめる役にまわったのである。
「あんまり窘めて済まなかったね。こりゃあお菓子の代だよ」
二朱《にしゅ》の銀《かね》をお絹から貰って、お此は又おどろいた。お絹は剰銭《つり》はいらないと言った。
「その代りにお前さんにことづけを頼みたいんだがね。不二屋のお里に逢ったらば、これから林さんをいっさい寄せ付けないようにしてくれと、そう言っておくれ。いいかい。よく忘れないようにお里に言っておくれよ。もしこののちも相変らず不二屋に林さんの姿を見掛けるようなことがあると……」
青い蛇の首がお絹の袂の下から出た。
「あたしはこれを持ってお里のところへお礼に行くからね」
「姐さんばかりじゃない。あたし達も加勢に行くよ」と、お花も一緒になって嚇した。
嚇されてお此はまた縮みあがった。
「冗談じゃあない、本当にこれでお里の頸を絞めてやるから」と、お絹の白い手のさきには蛇の頭が気味悪くうごめいていた。
お此は二朱の銀を頂いて早々に逃げて帰った。
七
「まあ、誰から来たんだろうね」
大きい鮓《すし》の皿を取りまいて、楽屋じゅうの者が眼を見あわせていた。お此が嚇されて帰ったあとへ、木戸番の又蔵《またぞう》が鮓屋の出前持ちと一緒に楽屋へはいって来て、お絹さんへといってその鮓の皿を置いて行った。
「誰が呉れたの」と、お花が訊いた。
「あとで判りやす」
又蔵は笑いながら行ってしまった。お遣い物の主《ぬし》は結局判らなかった。しかし、こんなことはさのみ珍しくもないので、みんなは今まで駄菓子をさんざん噛《かじ》った口へ、さらに鮪《まぐろ》やこはだ[#「こはだ」に傍点]や海苔巻を遠慮なしに押し込んだ。お絹も無理に勧められて海苔巻を一つ食った。
「きょうは御馳走のある日だったね」と、地弾きのお辰は海苔の付いたくちびるを拭きながら、鉄漿《かね》の黒い歯をむき出して笑った。
「みんな姐さんのお蔭さ」と、お若も茶を飲みながら相槌《あいづち》を打った。
飲み食いの時にばかり我れ勝ちに寄って来ても、まさかの時には本当の力になってくれる者は一人もあるまい。お絹はその軽薄を憎むよりも、そうした境遇に沈んでいる自分の今の身が悲しく果敢《はか》なまれた。小さいときに死に別れた両親《ふたおや》や妹が急に恋しくなった。
それに付けても林之助がいよいよ恋しくなった。自分が取りすがってゆく人は林之助のほかにはない。もうこれからは決して無理も言うまい。我儘も言うまい。どこまでもおとなしくあの人の機嫌を取って、見捨てられないようにする工夫《くふう》が専一だと、いつにない、弱い心持ちにもなった。しかしお里のことを考え出すと、彼女はまた急に苛々《いらいら》して来た。林之助の見ている前で、お里の島田髷を邪慳《じゃけん》に引っつかんで、さっきお此を苦しめたようにその鼻づらへ青い蛇をこすりつけてやりたいとも思った。林之助への面《つら》あてに、新しい男を見つけ出して面白く遊んでみようかとも思った。
「又ちゃん。なに……」
又蔵によび出されて、お花は楽屋口へ起《た》って行った。二人は何かしばらくささやき合っていたが、やがてお花はにこにこ[#「にこにこ」に傍点]しながら戻って来た。その時にはお絹はもう舞台に出ていた。
「お花さん。鮓《やすけ》の相手は知れたかね」と、楽屋番の豊吉が食いあらした鮓の皿を片付けながら訊いた。
お花は黙ってうなずいた。
「当ててみようか。浅草の五二屋《ごにや》さん。どうだい、お手の筋だろう」
「楽屋番さんにして置くのは惜しいね」
「売卜者《うらないしゃ》になっても見料《けんりょう》五十文は確かに取れる」と、豊吉はいつもの癖でそり返って笑った。
「浅草の大将、だんだんに欺《だま》を出して来るね。又公が今来てお前に耳打ちをしていた秘密の段々、これも真正面から図星を指してみようか。お花さんにまず幾らか握らせて、向島あたりへ姐さんをおびき出して、ちょうど浅草寺《せんそうじ》の入相《いりあい》がぼうん[#「ぼうん」に傍点]、向う河岸で紙砧《かみぎぬた》の音、裏田圃で秋の蛙《かわず》、この合方《あいかた》よろしくあって幕という寸法だろう。どうだ、どうだ」
「見料五十文は惜しくない」と、お花は澄まして笑っていた。
「だが、罪だな」と、豊吉は勿体らしく首をひねった。「なぜと言いねえ。取り巻きのおめえ達はそれでよかろうが、姐さんはいい人身御供《ひとみごくう》だ。そんなことが向柳原へひびいてみねえ。決して姐さんの為にゃなるめえぜ」
「姐さんもちっとは浮気をするがいいのさ」
「などと傍《そば》から水を向けるんだからおそろしい。悪党に逢っちゃあ敵《かな》わねえな」
「人聞きの悪いことをお言いでないよ」
豊吉の推測はことごとく外《はず》れなかった。小屋が閉場《かぶ》ってから、お花はどう説き付けたかお絹を誘い出して向島へ駕籠で行った。豊吉のいった通り、浅草寺の入相の鐘が秋の雲に高くひびいて、紫という筑波山《つくば》の姿も、暮れかかった川上の遠い空に、薄黒く沈んでみえた。堤下《どてした》の田圃には秋の蛙が枯れがれに鳴いていた。
二挺の駕籠が木母寺《もくぼじ》の近所におろされたときには、料理茶屋の軒行燈に新しい灯のかげが黄色く映っていた。風雅な屋根付きの門のなかには、芙蓉《ふよう》のほの白く咲いているのが夕闇の底から浮いているように見えた。お絹とお花はその茶屋の門をくぐって奥の小座敷へ通されると、林之助と丁度同い年ぐらいの町人ふうの若い男が、女中を相手に杯をとっていた。
「どうも遅くなりました」と、お花は丁寧に挨拶した。
お絹は燭台の灯に顔をそむけて坐った。
女中はなんにも言わずに二人をじろじろ[#「じろじろ」に傍点]見ながらつん[#「つん」に傍点]と立って行った。その素振りがなんだか自分たちを軽蔑《さげす》んでいるらしくも見えたので、お絹はまず勃然《むっ》とした。
「それでもよく出て来てくれたね」
男がさした杯をお絹はだまって受取って、お花に酌をさせてひと口飲んだ。お花が取持ち顔に何かいろいろの話を仕向けると、男も軽い口で受けた。
男は浅草の和泉屋という質屋の忰《せがれ》で、千次郎という道楽者であった。吉原や深川の酒の味ももう嘗《な》め飽きて、この頃は新しい歓楽の世界をどこにか見いだそうとあさっている彼の眼に、ふと映ったのは両国のお絹であった。彼は自分の物好きに自分で興味をもって、この美しい蛇つかいの女に接近しようと努《つと》めた。楽屋への遣い物、木戸番への鼻薬、それらもとどこおりなく行き渡って、今夜ここでお絹と膝を突きあわせるまで手順よく運んだのである。彼はかなりに飲める口とみえて、二人の女を向うへまわして頻りに杯をはやらせていた。
男振りもまんざらではない、道楽者だけに容子《ようす》も野暮ではない。お花が頻りに褒めちぎっているのも、あながちに欲心からばかりでもないことをお絹も承知していた。彼女が今夜ここへ呼ばれて来たのも幾分か浮いた心も伴っていないでもなかった。どうで林之助とは添い通せる仲ではない。殊に男は不二屋のお里の方へとかく引き付けられるようになっている。自分だけが人知れずに苦労しているよりは、ちっとは面白く浮かれて見るもいいと、自棄《やけ》も手伝った気まぐれから、今夜すなおにお花に誘い出されたのであった。しかし来てみると、やはり面白くないことが多かった。
第一には、この家《うち》の女中たちの素振りが面白くなかった。かれらは自分の素姓を薄々知っているらしく、口へ出してこそ何とも言わないが、蛇つかいの女をさげすむような、忌《い》み嫌うような気色をありありと見せていた。自分の商売の立派なものでないことは、お絹自身もむろん承知しているので、彼女も人にむかって、おのれの身分を誇ろうとは思っていなかった。しかし、かれらからさげすむような素振りを眼《ま》のあたりに見せつけられると、お絹は堪忍ができなかった。かれらとても大名|高家《こうけ》のお姫さまではない。多寡が茶屋小屋の女中ではないか。その女中|風情《ふぜい》に卑しめられるのは如何にも口惜しいと、彼女の癇癪はむらむら[#「むらむら」に傍点]と起った。
それから更に面白くないのは千次郎の態度であった。なるほど道楽者だけに話も面白い。すべての取りまわしも野暮《やぼ》ではない。しかしその野暮でないのをひけらかすような処に、お絹には堪まらないほど不快の点が多かった。しょせん彼の胸には、色の恋のと名づけられるような可愛らしいものを持っているのではない。単に一種の変り物を賞翫《しょうがん》するような心持ちで自分をもてあそぼうというに過ぎないことも、お絹にはよく見透かされた。
女中たちに対する不平と、千次郎に対する不快と、この二つがお絹を駆ってしたたかに酒を飲ませた。彼女は大蛇《おろち》のように息もつかずに飲んだ。そばに観ているお花は、だんだんに蒼ざめてゆく彼女の顔色に少しく不安を懐
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