つまずきながら、よろけかかって男の肩にしがみついた。
「林さん。おまえさん、ずいぶん薄情だね」
 だしぬけに鋭いヒステリックの声を浴びせられて、気でも違いはしないかというように、林之助は呆気《あっけ》にとられた顔をしてお絹をみると、彼女のものすごい眼は上吊《うわづ》っていた。その声はもう嗄《か》れていた。
「お前さん、あたしというものをどうして呉れるつもりなの。おまえさんを屋敷へやった以上は、どうで二人のあいだに長い正月のないことはあたしも大抵あきらめていたけれども、目と鼻の広小路へ来て列び茶屋の娘とふざけ散らしている。そんなことをされて、おとなしく見物しているあたしだと思っているのかえ」と、お絹は早口に言った。「いつもいう通り、蛇は執念ぶかいんだから、そう思っておいでなさいよ」
「列び茶屋の娘……。そりゃあ思いもつかねえ濡衣《ぬれぎぬ》だ。なるほど友達のつきあいで、列び茶屋の不二屋へ此中《このじゅう》ちょいちょい遊びに行ったこともあるが、なにも乙に絡《から》んだことを言われるような覚えはねえ。こう見えてもおれは大川の水、あっさりと清いものだ」
「悪くお洒落でないよ」と、お絹は男の肩を
前へ 次へ
全130ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング