気なしに、むしゃむしゃ食っているのを、お絹は箱に倚りかかりながら黙って離れて眺めていた。
「おまえさん、列び茶屋へも行くんだね」と、お花は菓子を食ったあとの指をなめながらお此に訊いた。
「はい。まいります」
「不二屋へも行くだろう」
「はい」
 お花はお絹に眼くばせをしながら、なに食わぬ顔でお此にまた訊いた。
「おまえさん、あの不二屋の里《さと》ちゃんという子を知っているだろう」
「おとなしい姐さんでございますね」
「あの子に、このごろ情人《いいひと》が出来たってね」
「さあ、そんなことは存じませんが……」と、お此は笑っていた。
「向柳原のほうのお屋敷さんだっていうじゃあないか」と、お花も笑いながらカマを掛けた。「おまえさん、毎日行くんだもの、知っているだろう」
 お此の返事はあいまいであった。単に向柳原の屋敷者といえば大勢あるが、お絹の男も向柳原にいることをお此はかねて知っていた。その男がその不二屋へ遊びにゆくこともお此はやはり知っていた。ここでうっかりしたことをしゃべって、どんな当り障りがないとも限らない。諸方へ出入りする自分の商売上、なるべくこんな問題には係り合わない方が利口だと思ったらしく、お此は巧みにお花の問いを避けて、あさっての花火の噂などを始めた。
 さっきから少しく眼の色の変っていたお絹は、もう焦れったくて堪まらないという気色で、倚りかかっていた箱をかかえながら衝《つ》と立って、お此の膝の前に詰め寄るように坐った。
「お此さん」
 その権幕が激しいので、相手はうろたえた。
「は、はい」
「向柳原といえば大抵判っているだろう。あたしのとこの林さんのことさ。あの人がこの頃むやみに不二屋へ行く。きのうもおとといも、さきおとといも、はいり込んでいたというが本当かえ。そうして、あのお里という子とおかしいというのも本当だろうね」
 お此は返事に困ったような顔をしていた。しかし果たして林之助とお里とのあいだに情交《わけ》があるかないか、そんなことは彼女にも鑑定は付かないらしかった。お此はまったくなんにも知らないと正直そうに答えた。
 林之助とお里との問題については、お花は初めから情交ありげに吹聴《ふいちょう》している一人であった。現にきょうも楽屋へ来て、林之助がこのごろ毎日のように不二屋へはいり込むという新しい事実を誇張的にお絹に報告した。その矢先きへ丁度お此が来
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