あいだに四日も訪ねて来たが、しみじみと話をする間《ひま》もないように急いで帰ってしまった。
「人焦《ひとじ》らしな。いっそ来てくれない方がいい」と、お絹は物足らないような愚痴をいうこともあった。
「来なければ来ないで恨みをいう、来れば来るで愚痴をいう。困ったお嬢さまだ」と、林之助は笑っていた。
まったく林之助の言う通り、どっちにしてもお絹には不足があった。男が屋敷奉公をやめて、再び自分の手許《てもと》へ戻って来ない限りは、ほんとうに胸の休まる筈はないと自分でも思っていた。男を引き戻したい。お絹は明けても暮れても唯そればかりを念じていた。そんなら去年なぜ出してやったかと自分のこころに訊いてみても、確かな返事をうけ取ることが出来なかった。去年は悲しくあきらめて離れた――しかも、いよいよ離れてみると恋い死ぬほどに懐かしくなって来た――お絹は去年おめおめ[#「おめおめ」に傍点]と男を出してやった自分の愚かな心を、笞《むち》うちたいほどに罵り悔まずにいられなかった。
「お菓子はいかがです」
五十を二つ三つも越したらしい女が駄菓子の箱をさげて楽屋へそっとはいって来た。あさってが花火という二十六日のひる過ぎで、お絹が例の水色の※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]をぬいで、中入りに一服すっているところであった。
「相変らずお市《いち》か捻鉄《ねじがね》だろうね」と、前芸のお若が蒼い顔を突き出した。お若は病気が癒って五、六日前からようよう舞台へ出るようになったのであった。
「お前さん、ずいぶん意地が綺麗だね。まだお医者の薬を飲んでいる癖に……」と、そばからお花も摺り寄って来た。そうして、「姐さん、いかが」と、笑いながらお絹にきいた。
「たくさん」と、お絹は重そうに頭《かぶり》をふった。「だけども、みんなが食べるならお食べよ。代は一緒に払ってあげるから、君ちゃん、お前もたんとお食べ」
「どうも御馳走さま」
みんなが一度に挨拶して、お若もお花もお君も、地弾きのお辰も、楽屋番の豊吉も、麩にあつまって来る鯉のように四方から菓子の箱を取りまいた。菓子売りはここらの観世物小屋の楽屋の者や列び茶屋の客などを相手に、毎日諸方へ入り込んでいるお此《この》という女であった。姐さんの奢《おご》りというので、みんながここを先途《せんど》と色
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