もし間違いでもありますといけません」
林之助ははっ[#「はっ」に傍点]と赤面した。まさか大勢の前で大小を質に入れて来たとは言えなかった。返事に困っておどおど[#「おどおど」に傍点]していると、豊吉は薄あばたの顔に三角の眼をひからせた。
「なるほど旦那は丸腰で……。へえ、もうきょうかぎりお屋敷の方はおやめになったんでごぜえますかえ。ははあ、それじゃあここの姐さんがいなくなったんで、おおびらでお里の方へ引き取られるようなことで……。なんでもお里のおふくろの死んだ時にゃあ大層に肩を入れてお世話をなすってやったそうで……。へえ、みんな知っていますぜ」
彼は憎々しくせせら笑った。丸腰を見とがめられて赤面しているところへ、又もやこんな忌味を言われて、林之助はむっ[#「むっ」に傍点]とした。
「お里のおふくろが死んだ時に顔を出したのがなんで悪い。顔を出そうと出すまいと俺の勝手だ。貴様たちにおれの料簡《りょうけん》がわかるか」
豊吉も負けずに何か言おうとするのを小屋主がおさえた。ほかの者もなだめた。ともかくも武士の林之助を相手にして喧嘩をしては面倒だと思ったらしい。
それはそれで済んだが、四方八方から意地のわるい眼で睨まれているようで、林之助はなにぶんにも居ごこちが悪いので、ろくろく挨拶もせずにふい[#「ふい」に傍点]と表へ出てしまった。彼の腰のまわりは寂しかった。そのうしろ姿を見送って、内ではくすくす笑う声も洩れきこえた。
「けしからん奴らだ」
林之助は腹が立って堪まらなかった。彼はふところにまだ一両二歩の銀《かね》が残っているので、近所の軍鶏《しゃも》屋へ又はいった。悲しみと怒りとがもつれ合って、麻のように乱れている胸の苦しみを救うために、彼はたんとも飲めない酒を無暗に飲んだ。
「このあいだもここで飲んで、それからお里の家《うち》へ行ったのだ。今夜はどこへ行こう」
彼は丸腰で屋敷の門をくぐれないことを考えた。もう今頃からどこへ行っても、大小をうけ出す銀の才覚もできそうもない。さりとてお絹の家へ引っ返す気にもなれないので、林之助は行くさきに迷った。酔いも手伝って彼はもう自棄《やけ》になった。今夜もこれからお里の家へ行こうと思った。お絹はもう死んでいる、お里のおふくろも死んでいる、だれにも遠慮気兼ねもいらないと思った。軍鶏屋を出ると、彼の足は外神田へむかった。
めずら
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