亡びゆく花
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)殆《ほとん》ど
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)からたち[#「からたち」に傍点]
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からたち[#「からたち」に傍点]は普通に枳殻と書くが、大槻博士の『言海』によるとそれは誤りで、唐橘と書くべきだそうである。誰も知っている通り、トゲの多い一種の灌木で、生垣などに多く植えられている。別に風情もない植物で、あまり問題にもならないのであるが、春の末、夏の初めに五弁の白い花を着ける。暗緑色の葉のあいだにその白い花が夢の如くに開いて、夢の如くに散る。人に省みられない花だけに、なんとなく哀れにも眺められる。
市区改正や区劃整理で、からたち[#「からたち」に傍点]もだんだんに東京市内から影を隠して来たが、それでも場末の屋敷町や、新東京の住宅地などには、その生垣をしばしば見受ける。しかも文化式の新しい建物などで、からたち[#「からたち」に傍点]の垣を作っている家は殆《ほとん》どない。からたち[#「からたち」に傍点]の垣をめぐらしているのは、明治時代かあるいは大正時代の初期に作られたらしい旧式の建物に限るようである。さもなければ、寺である。寺も杉や柾木《まさき》やからたち[#「からたち」に傍点]をめぐらしているのは新しい建築でない。
要するにからたち[#「からたち」に傍点]は古家や古寺にふさわしいような、一種の幽暗な気分を醸し成す植物であるらしい。からたち[#「からたち」に傍点]の生垣のつづいているような場所は、昼でも往来が少い。まして夕方になるといよいよ寂しい。その薄暗い中に、からたち[#「からたち」に傍点]の花が白くぼんやりと開いている。どう考えても、さびしい花である。
俳句にもからたち[#「からたち」に傍点]の花という題があるが、あまり沢山の作例もなく、名句もないようである。からたちは木振りといい、葉といい、花といい、総ての感じが現代的でない。大東京出現と共にだんだんに亡びゆく植物のように思われて、いよいよ哀れに、いよいよ寂しく眺められる。前にいった場末の屋敷町や、新東京の住宅地などを通行して、その緑の葉が埃を浴びたように白っぽくなっているのを見ると、わたしはなんだか暗いような心持になる。これらのからたち[#「からたち」に傍点]もやがては抜き去られてト
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