一種で十余株の多きに上っているのもあるから、いかに好く整理されていたところで、その枝や葉や花がそれからそれへと掩《おお》い重なって、歌によむ「八重葎《やえむぐら》しげれる宿」といいそうな姿である。
 そのほかにも桐や松や、柿や、椿、木犀《もくせい》、山茶花《さざんか》、八《や》つ手《で》、躑躅《つつじ》、山吹のたぐいも雑然と栽えてあるので草木繁茂、枝や葉をかき分けなければ歩くことは出来ない。
「狭いところへ好くも栽え込んだものだな」と、わたしは自分ながら感心した。狭い庭を藪にして、好んで藪蚊の棲み家を作っている自分の物好きを笑うよりも、こうして僅《わずか》に無趣味と殺風景から救われようと努めているバラック生活の寂しさを、今更のように考えさせられた。
 わたしの家ばかりでなく、近所の住宅といわず、商店といわず、バラックの家々ではみな草花を栽えている。二尺か三尺の空地にもダリヤ、コスモス、日まわり、白粉のたぐいが必ず栽えてあるのは、震災以前にかつて見なかったことである。われわれはこうして救われるの外はないのであろうか。
 わたしの現在の住宅は、麹町通《こうじまちどお》りの電車道に平行した北
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