目黒の寺
岡本綺堂
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)麹町《こうじまち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
−−
住み馴れた麹町《こうじまち》を去って、目黒に移住してから足かけ六年になる。そのあいだに『目黒町誌』をたよりにして、区内の旧蹟や名所などを尋ね廻っているが、目黒もなかなか広い。殊《こと》に新市域に編入されてからは、碑衾町《ひぶすまちょう》をも包含することになったので、私のような出不精の者には容易に廻り切れない。
ほか土地はともあれ、せめて自分の居住する区内の地理だけでも一通りは心得ておくべきであると思いながら、いまだに果し得ないのは甚だお恥かしい次第である。その罪ほろぼしというわけでもないが、目黒の寺々について少しばかり思い附いたことを書いてみる。
目黒には有名な寺が多い。先《ま》ず第一には目黒不動として知られている下目黒の滝泉寺《りゅうせんじ》、祐天上人開山として知られている中目黒の祐天寺、政岡《まさおか》の墓の所在地として知られている上目黒の正覚寺《しょうがくじ》などを始めとして、大小十六の寺院がある。私はまだその半分ぐらいしか尋ねていないので、詳しいことを語るわけには行かないが、いずれも由緒の古い寺々で、旧市内の寺院とはおのずからその趣を異《こと》にし、雑踏を嫌う私たちには好い散歩区域である。ただ、どこの寺でも鐘を撞《つ》かないのがさびしい。
[#ここから2字下げ]
目黒には寺々あれど鐘鳴らず鐘は鳴らねど秋の日暮るる
[#ここで字下げ終わり]
◇
前にいった滝泉寺門前の料理屋角伊勢の庭内に、例の権八《ごんぱち》小紫《こむらさき》の比翼塚が残っていることは、江戸以来あまりにも有名である。近頃はここに花柳界も新しく開けたので、比翼塚に線香を供える者がますます多くなったらしい。さびしい目黒村の古塚の下に、久しく眠っていた恋人らの魂も、このごろの新市内の繁昌には少しく驚かされているかも知れない。
正覚寺にある政岡の墓地には、比翼塚ほどの参詣人《さんけいにん》を見ないようであるが、近年その寺内に裲襠《うちかけ》姿の大きい銅像が建立されて、人の注意を惹《ひ》くようになった。いうまでもなく、政岡というのは芝居の仮名で、本人は三沢初子である。初子の墓は仙台に
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング