た。
「今の鉄砲の音はなんですか。」
「猟師が嚇《おど》しに撃ったんですよ。」
「嚇しに……。」
「ここらへは時々にえてもの[#「えてもの」に傍点]が出ますからね。畜生の分際で人間を馬鹿にしようとしたって、そりゃ駄目ですよ。」と、重兵衛は探るように相手の顔をみると、かれは平気で聞いていた。
「えてものとは何です。猿ですか。」
「そうでしょうよ。いくら甲羅経たって人間にゃかないませんや。」
 こう言っているうちにも、重兵衛はそこにある大きい鉈《なた》に眼をやった。すわといったらその大鉈で相手のまっこうを殴《くら》わしてやろうと、ひそかに身構えをしたが、それが相手にはちっとも感じないらしいので、重兵衛もすこし張合い抜けがした。えてものの疑いもだんだんに薄れて来て、彼はやはり普通の旅人であろうと重兵衛は思い返した。しかしそれも束《つか》の間で、旅人はまたこんなことを言い出した。
「これから山越しをするのも難儀ですから、どうでしょう、今夜はここに泊めて下さるわけにはいきますまいか。」
 重兵衛は返事に困った。一時間前の彼であったらば、無論にこころよく承知したに相違なかったが、今となってはその返
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