浴好きの人々は朝と夕とに二回の入浴をするのが多かった。
 朝湯は大抵午前七時頃から開くのであるが、場所によっては午前五時半か六時頃から始めるのもあった。それを待ちかねて、楊枝をくわえながら湯屋の前にたたずみ、格子の明くのを待っている人もある。男湯に比べると女湯は遅く、午前九時か十時でなければ格子を明けなかった。その朝湯を廃止することになったのは大正八年の十月で、燃料騰貴のために朝から湯を焚いては経済が取れないと、浴場組合一同が申合せて朝湯を廃止したのである。それが此頃は復活して、午前六時頃から開業の湯屋を見受けるようになったが、大体に於ては午後開業に一定してしまった。

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 五月の節句(四、五の両日)に菖蒲湯を焚き、夏の土用なかばには桃湯を焚き、十二月の冬至には柚湯を焚くのが江戸以来の習であったが、そのなかで桃湯は早く廃れた。暑中に桃の葉を沸した湯に這入ると、虫に喰われないと云うのであるが、客の方が喜ばないのか、湯屋の方が割に合わないのか明治二十年頃から何時か止められて、日清戦争以後には桃湯の名も忘れられて仕舞った。菖蒲湯又は柚湯の日には、湯屋の番台に白木の三宝
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