っているのを、外記が救いの手をひろげて庇《かば》ってくれた。そのおかげで先祖伝来の小さい田畑も人手に渡さずに取り留めて、十吉がともかくも一人前の男になるまで、母子《おやこ》が無事に生きて来たのであった。
「番町さまのありがたい御恩を忘れちゃ済まないぞ」と、お時は口癖のように我が子に言い聞かしていた。外記とはいわゆる乳兄弟《ちきょうだい》のちなみもあるので、お時が番町の屋敷へ行くたびに、外記の方からも常に十吉の安否をたずねてくれた。それがまたお時に取っては此の上もない有難いことのように思われていた。
 ことしは外記が二十五の春である。もうそろそろ奥様のお噂でもあることかと、お時はことしの御年始にあがるのを心待ちにしていたが、それでも相手は歴々のお武家であるから、具足びらきの御祝儀の済むまではわざと遠慮して、十二日のきょう急いで山の手へのぼったのである。行って見ると、主人の外記は留守であった。妹のお縫がいつもの通りに愛想《あいそ》よくもてなしてはくれたが、なんとなくその若い美しい顔に暗い影が掩《おお》っていた。屋敷のうちも喪《も》にこもったようにひっそりと沈んでいて、どこにも春らしい光りの
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