真剣の恋をするほど盲目な女は廓にも少ない。遊女が恋の相手を武士に求めなかったのも自然の道理であった。綾衣もおととしの秋まではそう思っていた。
それがどうしてこうなったか、自分にも夢のようでよく判らないが、その晩のありさまはきのうのことのようにまざまざ[#「まざまざ」に傍点]と眼に残っている。
たなばた祭りの笹の葉をそよそよと吹きわたる夕暮れの風の色から、廓にも物悲しい秋のすがたが白じろと見えて、十日の四万六千日《しまんろくせんにち》に浅草から青ほおずきを買って帰る仲の町芸妓の袂にも、夜露がしっとりと沁みるのが知れて来る。十二日も十三日も盂蘭盆の草市《くさいち》で、廓も大門口から水道尻《すいどうじり》へかけて人の世の秋の哀れを一つに集めたような寂しい草の花や草の実を売りに出る。遊女もそぞろ歩きを許されて、今夜ばかりは武蔵野に変ったような廓の草の露を踏み分けながら、思い思いに連れ立ってゆく。禿の袂にきりぎりすの籠を忍ばせて帰るのもこの夜である。
綾衣はおととしのこの夜に、初めて外記に逢った。
その晩は星の多い夜であった。仲の町の両側に隙き間もなく積み重ねられた真菰《まこも》や蓮の葉
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