この刀の柄《つか》に絡《から》んだ。そうして、二人を恋におとして、さらに暗いところへ導いてゆく。たとい二人が摺れちがっても、この刀さえなかったらなんにも起らずに済んだかも知れない。
それを思うと、この刀と自分たちの間には、人には判らない一種の不思議が絡み付いているらしく、自分たちはどうしてもこの刀で亡ぼされなければならない因縁をもっているようにも信じられた。剣難の相があると言った占い者の予言が、いよいよ嘘でないように思い当られてきた。
「今だから打ち明けて話しんすが、わたしには剣難の相があると上手な占《うらな》い者さんが言いんした。そんなことがあるかも知れえせんね」
「そんなことがあるかも知れない」
外記は綾衣のような宿命論をもってはいなかった。占い者を信ずることも出来なかった。彼はただ、燃えるような熱い情けにただれて、そのままとろけて消えてしまいたかった。
「いよいよ甲府勝手とやらに決まりなんしたら、ぬしに再び逢う瀬はありんせんね」と、綾衣はもう判り切っていることに念を押した。
彼女の眼は吸い付けられたように刀を離れなかった。蚊帳の波は少しゆらいで、水のような夜風が窓から流れて来た。二人の襟もとは冷たかった。もうなんにも言うことはない。今更どう考える余地もない。二人は迷わずに自分たちの行くべき道を歩むよりほかはなかった。まっすぐな路が彼らの前に開かれていた。
「ごめんください」
不意に案内を乞われて二人は少しくあわてた。お時も十吉もあいにくに留守である。二人は息をのんで暫く黙っていた。
「ごめんください、お留守ですか、もし、ごめんください。どなたも居ないんですか」
外ではつづけて呼んだ。そうして何かささやくような声もきこえた。綾衣は一種の不安におそわれて、男の手を思わず固く握りしめた。
「裏口を用心しろ」と、外ではささやく声が又きこえた。外記は無言で女の手を振り払って、蚊帳をするりと刎《は》ね退《の》けた。片手には刀を持って、しずかに襖をあけて出ると、一人の男が縁に腰をかけていた。ほかにも提灯を持った男が二人立っていた。
「あ、殿様でございましたか」
腰をかけている男が案外丁寧に挨拶した。彼は大菱屋の喜介という若い者であった。
「おお、喜介か。なにしにまいった」
外記はわざと落ち着いて訊いた。相手も面《つら》の憎いほどに落ち着いていた。
「へえ、花魁のお迎いにまいりました」
「花魁とは誰だ」
「へへへへへ」と、喜介は忌《いや》に笑った。「先々月駈け出したぎりで、音沙汰なしの花魁でございます。相手も大体見当が付いてはおりますが、表沙汰にしましてはまた御迷惑をする方もあるだろうと、内所《ないしょ》で手分けをして探していましたが、眼と鼻の間のこんなところに隠れていようとは、今の今までちっとも知りませんでした。まことに恐れ入りますが、どうかあなた様から花魁によく仰しゃって、ここはまあ一旦素直に帰るように願いとうございます」
「いや、綾衣はここにはおらぬ」
外記は居ないと言った。喜介は居るに相違ないと言い張って、しまいには家探《やさが》しをするとまで言い出したので、外記ももう面倒になった。
「たとい綾衣が隠れて居ようとも連れて帰ることは相成らぬ。外記が不承知だと、立ち帰って主人に申せ」
喜介はせせら笑った。
「へへ、子供の使いじゃございません。じゃあ、殿様、どうしても綾衣さんの花魁を渡しちゃあ下さいませんか」
「知れたことだ。帰れ、帰れ」
「へえ、さようでございますか」
こんなことを言いながら、喜介の料簡ではまず不意に相手の刀を取りあげてしまって、そのすきに奥から女を奪い出そうとする魂胆であったらしいが、外記の方にも油断はなかった。喜介が蛇のような手をそっと伸ばすと同時に、彼の腕はもう外記にしっかりと掴まれていた。
「武士の腰の物に眼をかける、おのれは盗賊だな」
掴まれた腕が外記の手を離れた時には、彼は狗《いぬ》ころのように庭さきに投げ出されていた。
つづいて外記の手は刀の柄にかかったので、彼はうろたえて這い廻って逃げた。ほかの二人も度を失ってばらばら[#「ばらばら」に傍点]と逃げ出した。空《から》駕籠をおろして門口《かどぐち》に待っていた駕籠屋も面食らって逃げた。
もとより斬る気はないが、おどしのために外記は縁を飛び降りて門口まで追って出た。彼らの遠くなったのを見とどけて再び内へ引っ返して、手水鉢《ちょうずばち》の水で足の泥を洗っていると、綾衣は手拭を持って来て綺麗に拭いてやった。
一旦はおどして追い返しても、ここの隠れ家を突き留めた以上は、大菱屋が泣き寝入りに済まそう筈がない。また出直して押して来るか、あるいは思い切って表沙汰にするかも知れない。女はもう眼に見えない網にかかっているのであった。
二人は
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