そ》んでいるらしく思われたので、お時はさらに胸を冷やした。この上になおも無理なことを言い出したら、二人はいよいよ突き詰めてどんなことを仕でかすかも知れない。お時はそれを想像するさえ身の毛がよだった。もうこうなったら黙って成り行きを窺っているよりほかはないと、お時は腫れものに触《さわ》るようなおびえた心持ちで、遠くからそっと二人を眺めていた。
 しかし、どう考えても此のままで済もうとは思われなかった。やがて廓の颶風《はやて》がここへ舞い込んで来て、それからいろいろの渦を巻き起すことはありありと眼に見えているので、お時は毎朝の空を眺めて、きょうが其の破滅の悪日《あくび》ではないかと、いつも怖ろしい予覚におびやかされていた。
 きょうは盆の十三日で、亡き人の魂《たま》がこの世に迷って来るという日である。亡き魂と死と、こんなことを考えるとお時の心はいよいよ暗くなった。多年住み馴れているわが家も今夜に限ってなんだか薄ら寂しく、十吉が早く帰って来ればいいと待ち侘びしかった。
 堤下《どてした》の浄閑寺《じょうかんじ》で夕《くれ》の勤めの鉦《かね》が途切れとぎれに聞えた。
 さっき行水《ぎょうずい》を終った綾衣は、これも寂しい思いで鉦の音を聴いていた。微かにきざんでゆく鉦の音は胸に沁みるようであった。浄閑寺は廓の女の捨て場所であるということも、今更のように考えられた。運の悪い病気の女は日の目も見えないような部屋へ押し込まれて、碌々に薬も飲まされないで悶《もだ》え死にする。その哀れな亡骸《なきがら》は粗末な早桶を禿《かむろ》ひとりに送られて、浄閑寺の暗い墓穴に投げ込まれる。そうした悲惨な例は彼女も今までにしばしば見たり聞いたりしていた。それでも寿命がつきて死んだ者はまだいい。心中してわれから命を縮めた者は、同じ浄閑寺の土に埋められながらも、手足を縛って荒菰に巻かれて、犬猫にも劣った辱《はず》かしめを受けるのである。
 その人たちの迷った魂は今夜の魂迎えにどこへ招かれて行くであろう。自分のからだも、やがては浄閑寺へ送られて、土の下からあの鉦の音を聴くようになるのかと思うと、綾衣もなんだか気が沈んで、生きながら暗いところへ引き入れられるようにも感じた。おさない時に死に別れた父母のことも思い出された。十九の歳に芝のあきんどから身請けの相談があったが、抱え主は金で折り合わず、自分も気に入ら
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