ら》の底を探したが、小柄の十吉の着物では間に合いそうもないので、彼女は二枚の女物を引き出した。縞の銘仙の一枚は、外記が五つの袴着《はかまぎ》の祝儀の時にお屋敷から新しくこしらえて頂いたのを、物持ちのいい彼女は丹念に保存して置いたのである。もう一枚の紬《つむぎ》は奥様のお形見として頂戴したもので、いずれも薄綿であった。
「女物ではござりますが、奥様のお形見でござります」と、彼女は外記に紬を着せてやった。綾衣は銘仙を羽織った。
 母の形見に手を通して、外記も懐かしいような寂しいような、なんだか暗い心持ちになった。そのお形見がこういう時の役に立とうとは、お時も夢にも思わなかった。彼女は急に悲しくなって、訳もなしに涙がほろほろ[#「ほろほろ」に傍点]とこぼれた。
     六
 外記は明くる朝早く帰った。帰るときにも綾衣のことをくれぐれも頼んで行った。
 頼まれたお時おやこの気苦労はひと通りでなかった。それも普通の人でない、くるわの駈落ち者である。しかも眼と鼻のあいだに廓を控えているここらあたりに、その駈落ち者をかくまって置くのは、燈台もと暗しとはいえ、随分あやうい仕事であった。それでも母子《おやこ》は大胆にその役目を果たそうとした。
 狭い家ではあるが奥に四畳半の納戸《なんど》がある。お時も綾衣に因果をふくめて、そのひと間の内に封じ込めてしまった。昼は一歩も外へ出ないで、幽霊のように夜を待って綾衣はそっと炉のそばへ這い出して来た。外記も夜道を忍んで時どきに逢いに来たが、箕輪田圃で蛍を追う子供たちにも怪しまれないのは僥倖《さいわい》であった。
 それが七、八日はまず無事にすごしたが、こういううしろ暗いことをしているのは、根が正直の母子に取って堪えられない苦痛であった。かれらは急に世間が怖ろしくなった。物の音にも胸をはずませて、おびえた心持ちで日を送ることが多かった。かれらは明るい夏の日の光りを見るのを恐れて、いつまでもこの暗い天気がつづけばいいと祈っているようになった。
 それに付けても、その後の廓の模様が知りたかった。馬道に住んでいる廓まわりの女髪結の一人を、お時はかねて識っているのを幸いに、これを訪ねてよそながら様子を探ろうと、彼女は雨の小やみを待って午《ひる》過ぎから出て行った。
 空を染めている薄墨の色も少し剥《は》げて、ちぎれて迷う雲の間から、時どき思い出した 
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