重荷の下にたわみかかっているらしかった。朝夕に見る五重の塔は薄い雲に隔てられたように、高い甍《いらか》が吹雪の白いかげに見えつ隠れつしていた。
 こんなに美しく降り積もっていても、あしたは果敢《はか》なく消えてしまうのかと思うと、春の雪のあわれさが今更のように綾衣の心をいたましめた。ことし初めて降る雪ではない。そうとは知っていながらも、物に感じ易くなった此の頃の彼女の眼には、きょうの雪が如何にも美しく、果敢なく悲しく映った。
 彼女はいつまでも櫺子にすがって、眼の痛むほどに白い雪を眺めていた。

     四

 雪はその日の夕《くれ》にやんだが、外記は来なかった。その明くる夜も畳算《たたみざん》のしるしがなかった。その次の日に中間《ちゅうげん》の角助が手紙を持って来た。あの朝の寒さから風邪の心地で寝ているので、三日四日は顔を見せられないというのであった。
 返事をくれと言って待っている角助に綾衣は自身で逢って、殿様はほんとうに御病気か、それとも何かほかに御都合があるのかと念を押して訊《き》いた。いや、ほかになんにも子細はない、ほんとうの御病気であるという角助の返事を聞いて、綾衣は少しく安心した。
 それから此の頃の屋敷の様子や、外記にかかわる親類たちの噂などを根掘り葉掘りいろいろ聞きただしたが、世間慣れている角助は如才《じょさい》ない受け答えをして、綾衣に聞かして悪いようなことはなんにも言わなかった。彼は綾衣が返事の文《ふみ》といくらかの使い賃とを貰って帰った。
 ほかに子細はないというので少しは安心したものの、ぬしの病気と聞けば、また気がかりであった。綾衣はすぐに遣手《やりて》のお金《きん》を浅草の観音さまへ病気平癒の代参にやった。その帰りに田町《たまち》の占い者へも寄って来てくれと頼んだ。
 雪どけのぬかるみをふんで、お金は浅草へ参詣に行った。田町には名高い占い者があって、人相も観る、墨色《すみいろ》判断もする、人の生年月日を聴いただけでもその吉凶《きっきょう》を言い当てる。お金は帰りにここへも寄って、外記の生まれ年月をいって判断を頼んだ。占い者は首をひねって、今度の病気はすぐに癒《なお》る。しかし、この人は半年のうちに大難があると脅《おど》すように言った。
 迷信のつよい廓《さと》の女は身の毛がよだ[#「よだ」に傍点]って早々に帰って来た。しかし綾衣にむかっ
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