ったが、風雨に馴《な》れている丸山は勇造がどこかへ出て行く足音を聞きつけたと見える。かれは頻《しき》りに勇造の名を呼んだが、隣りではなんの返事もなかった。
「この降るのに、どこかへ出たんですか。」と、高谷君は不安らしく訊いた。
「どうもそうらしい。」と、丸山は神経が亢奮《こうふん》したように言った。
かれは突然に起ち上がってマッチの火をすりはじめた。高谷君も手伝って、ようようのことで蝋燭に火をともした。
土間はもう三寸以上も雨水に浸されていた。ふたりはその水を渡りながら、蝋燭の火を消さないように保護してあるき出した。となりの部屋とのあいだには四尺ばかりの入口があって、簾《すだれ》代りのアンペラが一枚垂れていた。そのアンペラをかかげて隣りの部屋を覗いてみると、果たしてそこには勇造の姿がみえなかった。
「あ、やられたかな。」と、丸山は跳《おど》り上がって叫んだ。その途端に蝋燭の火は消えてしまった。
言い知れない恐怖に襲われながら、高谷君はあわててマッチをすった。もう蝋燭をともすのももどかしいので、二人はあらん限りのマッチをすって、そこらじゅうを照らしてみたが、勇造の姿はどうしても見付からなかった。
「まだ遠くは行かない筈だ。」
丸山は衣兜《かくし》からピストルを取出して表へ駈け出した。高谷君も用意のピストルをとって、つづいて駈け出した。しかしどっちへ行くという方角も立たないので、ふたりは雷雨のなかをうろうろしていると、蒼い稲妻がまた光って、その光りに照らされた麻畑のあいだに勇造のうしろ姿が見えた。ふたりは瀑布《たき》のような雨を衝いて麻畑のなかへまっしぐらに追って行った。稲妻が消えると、あとはもとの暗やみになってしまったので、二人は再び方角に迷ったが、勇造は堤の方へ行ったらしく思われたので、ふたりは頻りにその名を呼びつづけながら、麻畑を駈けぬけて河の岸へ出ると、雷はまた鳴った。稲妻もつづいて走った。その光りの下に勇造の姿がまたあらわれた。かれは堤から河の方へ降りて行くのである。
「弥坂君……勇造君……。」
「勇造……弥坂……。」
喉《のど》が裂けるほどに呼びながら、ふたりは堤から駈け降りようとすると、ぬれた草に滑って丸山がまず転んだ。高谷君も転んだ。ふたりとも大きい蔓草《つるくさ》に縋《すが》ったので、幸いに河のなかへ滑り落ちるのを免かれたが、そのあいだに勇造
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