錠をあけて、あわてて内へ駈け上がって、奥の三畳の襖《ふすま》をぴったりと立て切って、やぶれ畳の上にどっかりと坐り込んで、ここに初めてほっと息をついた。かれは橋番のおやじに星をさされた通り、湯島の富で百両にあたったのである。かれは三十になるまで独身で、きざみ煙草の荷をかついで江戸市中の寺々や勤番《きんばん》長屋を売り歩いているのであるから、その収入は知れたもので、このままでは鬢《びん》の白くなるまで稼ぎ通したところで、しょせん一軒の表店《おもてだな》を張るなどは思いもよらないことであった。
 ある時、かれは両国の橋番の小屋に休んで、番人のおやじにその述懐《じゅっかい》をすると、おやじも一緒に溜息をついた。
「御同様に運のない者は仕方がない。だが、おまえの方がわたしらより小銭《こぜに》が廻る。その小遣いを何とかやりくって富でも買ってみるんだね。」
「あたるかなあ。」と、平吉は気のないように考えていた。
「そこは天にある。」と、おやじは悟ったように言った。「無理にすすめて、損をしたと怨まれちゃあ困る。」
「いや、やってみよう。当ったらお礼をするぜ。」
「お礼というほどにも及ばないが、この放しうなぎの惣仕舞《そうじまい》でもして貰うんだね。」
 ふたりは笑って別れた。その以来、平吉は無理なやりくりをして、方々の富礼を買ってみた。
「どうだね。まだ放しうなぎは……。」と、橋番のおやじは時どき冗談半分に訊いた。
 平吉はいつも苦《にが》い顔をして首をふっていた。それがいよいよきのうの湯島の富にあたって、けさその天神の富会所《とみがいしょ》へ行って、とどこおりなく金百両を受取って来たのであるから、彼は夢のような喜びと共に一種の大きな不安をも感じた。自分が大金を所持しているのを知って、誰かうしろから追ってくるようにも思われて、かれは眼にみえない敵を恐れながら湯島から本所までひと息に駈けつづけた。その途中、橋番の小屋に寄って、おやじにもその喜びを報告しようと思ったのであるが、かれは不思議に舌がこわばって、なんにも言うことができなかった。
 橋番の方はまずあしたでもいいとして、彼は差しあたりその金の始末に困った。勿論、あたり札、百両といっても、そのうち二割の二十両は冥加金《みょうがきん》として奉納して来たので、実際自分のふところにはいっているのは金八十両であるが、その時代の八十両――も
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