うで、顔の作りなども好く出来ているので、ちょっと見ては、外国人とは思えないくらいでした。しかしこの人も台詞をひどく伸ばして、しかも抑揚の少い一本調子の英語で押通しているのが耳障りでした。例の「奥にはぱったり[#「ぱったり」に傍点]首打つ音」は、なんにも音を聞かせないで、単に松王がよろけるだけですが、それでも観客に得心させるように遣っていたのは巧いものです。首実検の時に手を顫《ふる》わせながら、懐紙《かいし》を口にくわえる仕種《しぐさ》などをひどく細かく見せて、団十郎式に刀をぬきました。ここでも首は見せません。首桶を少し擡《もた》げるだけでしたが、観客はみな恐れるように眼を伏せていました。
 松王も千代も二度目の出には、やはり引抜いて白の着附になりましたが、松王は※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《かみしも》を着ていませんでした。それでも柄が立派なのでちっとも見そぼらしいとは思えませんでした。松王が身がわりの秘密を打明ける件《くだり》になると、婦人の観客のうちにはハンカチーフを眼にあてているのが沢山ありました。要するに観客は親子という方面にばかり注意していて、源蔵夫婦の苦心には重きを置かないらしく見えます。ウォーナック氏もこの夫婦に対しては殆ど何にもいっていませんでした。千代の口説《くぜつ》は至極《しごく》簡短になっていましたが、これは已《や》むを得ますまい。いろは送りも無論ありません。松王が「我子にあらず、菅秀才のおんなきがら」の件で幕になりましたが、とにもかくにもこれだけのものを、わたしたちが観ていてちっともおかしい点がないほどに遣り負《おお》せたのは偉いものです。これと反対に、日本人が外国の劇を上演した場合、外国の人たちがそれを見物して、今夜の私たちのように感心するかどうか、わたしは少からず危みながら表へ出ると、今夜の雨はまだ音を立てて降っていました。
 この成功に気乗りがして、来月の試演には『先代萩』を上場するとか聞きましたが、どうなったか知りません。[#地から1字上げ](大正八年四月、紐育にて)



底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「十番随筆」新作社
   1924(大
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