々ばかりでなく、おなじように断られて雨のなかをすごすご帰ってゆく婦人などが沢山あります。もう仕様がないと諦めかけると、清原君は俄《にわか》に智慧を出して、今夜ここに早川雪洲夫人が来ているかと訊くと、来ているという。それでは早川君に頼んでなんとかしてもらいたいと、清原君が名刺を出して頼むと、女は承知して奥に這入《はい》りました。外ではまだ雨が降っています。そんな押問答をしているうちに、肝腎の松王劇が済んでしまっては詰まらないと思って、わたしは首を長くして内をのぞいていると、やがて女は再び出て来て、到底普通の椅子席はないが、立見同様でよければ案内して遣《や》るという。それで結構とすぐに案内されて這入ると、なるほど会員組織らしい小劇場で、二階もなんにもない、極めて質素な小さい建物でした。しかし立派な服装の人たちが一杯に席を埋めていました。
私たちは補助椅子といったようなものをあてがわれて、隅の方に小さく控えていると、第二の一幕物がもう終るところでした。プログラムを観ると第三が松王で、それが今度の呼物であるということが判りました。この松王は欧洲でも上場されたことがあり、米国では紐育《ニューヨーク》ではじめて上場されたのですが、その演出法が和洋折衷で面白くないというので不評であったそうです。今度はその当時とまったく違った俳優たちが純日本式のプロダクションを見せるという、それが観客の人気を呼んだらしいのです。登場者は活動写真の俳優として知られているヘンリー・ウォルサルやフランクリン・ホールの人たちで、それに大学の学生たちが加わっているのです。涎《よだれ》くりその他の寺子を呼出しにくる村の者は、すべて大学生であるということを後に聞きました。
幕があくと、御約束の寺子屋の舞台です。舞台が狭いのでよほど窮屈らしく見えましたが、ともかくも二重家体《にじゅうやたい》を飾って、うしろの出入口には障子が閉めてあります。菅秀才《かんしゅうさい》が上手《かみて》の机にむかって手習いをしている。下手《しもて》に涎くりとほかに三人の子供が机にむかっている。いずれも日本風の鬘《かつら》をかぶって、日本の衣裳を着ています。その衣裳に多少の無理は見えながらも、別におかしいと思うほどのこともありませんでした。
台詞《せりふ》は寺子屋の浄瑠璃の本文を殆《ほとん》ど逐字訳といっても好いくらいに英訳したもの
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