見る影もなく落ちぶれております。それを平造はひどく気の毒がりまして、その後は毎月二、三度ずつ横浜から尋ねて来て、いろいろの面倒を見てくれますばかりか、来るたびごとに幾らかずつの金を置いて行ってくれました。いっそ小商《こあきな》いでも始めてはどうだと申しまして、唯今の店も買ってくれました。そのお蔭で、わたくし共もどうにかこうにか行き立つようになりますと、平造はもうこれぎりで伺いませんと申しました。わたくし共もこの上に平造の世話になる気はございませんから、それぎりで別れてしまってもよかったのでございますが……。娘のお鶴は平造の親切に感じたのでございましょう。内々で慕っているような様子がみえます。わたくしも出来るものならば、ああいう男を娘の婿にしてやりたいという気も起りましたので、金銭の世話は別として、相変らず尋ねて来てくれるように頼みました。そうして、お鶴を貰ってくれないかというようなことも仄《ほの》めかしますと、平造は嬉しいような、迷惑らしいような顔をしまして、御主人のお嬢さまをわたくし共の家内に致すのは余りに勿体のうございますからという、断りの返事でございました。
 そうは言うものの、平造もまんざら忌《いや》ではないらしい様子で、その後も相変らず尋ねてまいりました。八月のはじめに参りました時に、わたくしは再び娘の縁談を持出しまして、主人の家来のというのは昔のことで、今はわたし達がお前の世話になっているのであるから、身分の遠慮には及ばない。娘もおまえを慕っているのであるから、忌《いや》でなければ貰ってくれと申しますと、平造はやはり嬉しいような困ったような顔をして、自分は決して忌ではないが、その御返事は今度来る時まで待っていただきたいといって帰りました。それから八月の末になって、平造はまた参りましたが、あいにくわたくしは寺参りに行った留守でございまして、お鶴と二人で話して帰りました。
 その時に娘と差向いでどんな話をしたのかよく解りませんが、平造は縁談を承知したらしいような様子で、お鶴は嬉しそうな顔をしていました。しかしお鶴の話によりますと、平造が帰るのを店先に立って見送っていると、ここらでは見馴れない女の児が店へはいって来たそうです。買物に来たのだと思って、なにを差上げますと、声をかけると、その女の児は怖い顔をして、おまえは殺されるよと言ったぎりで、出て行ってしまった
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