のかくれ家をさがし当てて、奇特《きどく》にもその世話をしているのであろう。親子が今度新しい商売を始めるというのも、この男の助力に因《よ》ること勿論である。
 こう考えてみれば、別に不思議がるにも及ばないのであるが、好奇心に富んでいるこの長屋の人たちは、不思議でもないようなこの出来事を無理に不思議な事として、更にいろいろのうわさを立てた。
「いくら昔の家来すじだって、今どきあんなに親切に世話をする者があるか。何かほかに子細があるに相違ない。おまけに、あの人は洋服を着ていることもある。」
 この時代には、洋服もひとつの問題であった。あるお世話焼きがおすま親子にむかって、それとなく探りを入れると、母も娘もふだんから淑《つつ》ましやかな質《たち》であるので、あまり詳しい説明も与えなかったが、ともかくもこれだけの事をかれらの口から洩らした。
 ここへたずねてくる男は、おすまの屋敷に奉公していた若党の村田平造という者で、維新後は横浜の外国商館に勤めている。この六月、両国の広小路で偶然かれにめぐり逢ったのが始まりで、その後親切にたびたび尋ねて来てくれる。そうして、ただ遊んでいては困るであろうというので、彼が百円あまりの金を出してくれて、表通りの店をゆずり受けることになった。――こう判ると、すべてが想像通りで、いよいよ不思議はないことになるので、長屋の人たちの好奇心もさすがにだんだん薄らいで来た。そのあいだに、おすま親子は表の店へ引移って、造作などにも多少の手入れをして、十二月の朔日《ついたち》から商売をはじめた。
「馴れない商売ですからどうなるか判りませんが、村田が折角勧めてくれますので、ともかくも店をあけて見ますから何分よろしく願います。」と、おすまは近所の人に言った。
 前にもいう通り、この親子は行儀のよい、淑ましやかな質であるので、近所の人たちの気受けもよかった。二つには零落した士族に対する同情も幾分か手伝って、おすまの荒物店は相当に繁昌した。士族の商法はたいてい失敗するに決まっていたが、ここは余ほど運のいい方で、あくる年の五、六月ごろには親子二人の質素な生活にまず差し支えはないという見込みが付くようになった。
 そうなると、娘のお鶴さんももう歳頃であるから、早くお婿を貰ってはどうだと勧める者も出て来た。以前は士族さんでも、今は荒物屋のおかみさんであるから、近所の人たちも自
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