いので、七月からは湯殿で行水を使うことにした。大盥《おおたらい》に湯をなみなみと湛えさせて、遠慮なしにざぶざぶ[#「ざぶざぶ」に傍点]浴びてみたが、どうも思うように行かない。行水――これも一種の俳味を帯びているものには相違ないので、わたしは行水に因《ちな》んだ古人の俳句をそれからそれへと繰出して、努めて俳味をよび起そうとした。わたしの家の畑には唐もろこしもある、小さい夕顔棚もある、虫の声もきこえる。月並ながらも行水というものに相当した季題の道具立は先ず一通り揃っているのであるが、どうも一向に俳味も俳趣も浮び出さない。
 行水をつかって、唐もろこしの青い葉が夕風にほの白くみだれているのを見て、わたしは日露戦争の当時、満洲で野天風呂を浴びたことを思い出した。海城・遼陽その他の城内には支那人の湯屋があるが、城から遠い村落に湯屋というものはない。幸に大抵の民家には大きい甕《かめ》が一つ二つは据えてあるので、その甕を畑のなかへ持ち出して、高粱《こうりょう》を焚いて湯を沸かした。満洲の空は高い、月は鏡のように澄んでいる。畑には西瓜《すいか》や唐茄子《とうなす》が蔓《つる》を這《は》わせて転がっている。そのなかで甕から首を出して鼻唄を歌っていると、まるで狐に化かされたような形であるが、それも陣中の一興として、その愉快は今でも忘れない。甕は焼物であるから、湯があまりに沸き過ぎた時、迂濶《うかつ》にその縁などに手足を触れると、火傷をしそうな熱さで思わず飛びあがることもあった。
 しかしそれは二十年のむかしである。今のわたしは野天風呂で鼻唄をうたっている勇気はない。行水も思ったほどに風流でない。狭くても窮屈でも、やはり据風呂を買おうかと思っている。そこでまた宿無しが一句うかんだ。
[#天から3字下げ]宿無しが風呂桶を買ふ暑さ哉
[#地から1字上げ](大正十三年七月)



底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「猫やなぎ」岡倉書房
   1934(昭和9)年4月初版発行
初出:「読売新聞」
   1924(大正13)年7月28日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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