捨られつ、ただ白木の位牌と香炉のみありのままに据えてあり。この位牌は過ぎし九日送葬の朝、わが痩せたる手に捧げ来りてここに置据《おきす》えたるもの、今や重ねてこれを見て我はそも何とかいわん、胸|先《ま》ず塞《ふさ》がりて墓標の前に跼《うずく》まれば、父が世に在《あ》りし頃親しく往来《ゆきかい》せし二、三の人、きょうも我より先に詣で来りて、山吹の黄なる一枝を手向《たむ》けて去りたる所志《こころざし》しみじみ嬉しく、われも携え来りし紫の草花に水と涙をそそぎて捧げぬ。きのうの春雨の名残《なごり》にや、父の墓標も濡れて在《おわ》しき。
父は五人兄弟の第三人にして、前後四人は已《すで》に世を去りぬ、随って我も四人の叔《おじ》を失いぬ。第一の叔は遠く奥州の雪ふかき山に埋《うず》まれ給いしかば、その当時まだ幼稚《いとけな》き我は送葬の列に加わらざりしも、他の三人の叔は後《おく》れ先《さきだ》ちて、いずれもこの青山の草露《そうろ》しげき塚の主《ぬし》となり給いつ、その間に一人《いちにん》の叔母と一人の姪をも併《あわ》せてここに葬りたれば、われは実に前後五|度《たび》、泣いてこの墓地へ柩《ひつぎ》を送り
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング