」に傍点]と袖にたばしりて、満目荒凉、闇《くら》く寒く物すごき日なりき。この凄じき厳冬の日、姪の墓前に涙《なんだ》をそそぎし我は、翌《あく》る今年の長閑《のどか》に静なる暮春のこの夕《ゆうべ》、更にここに来りて父の墓に哭《こく》せんとは、人事|畢竟《ひっきょう》夢の如し。誰《たれ》か寒き冬を嫌いて、暖き春を喜ぶものぞ、詮《せん》ずれば果敢《はか》なき蝴蝶の夢なり。
然れども思え、いたずらに哭して慟《どう》して、墓前の花に灑《そそ》ぎ尽したる我が千行《せんこう》の涙《なんだ》、果して慈父が泉下の心に協《かな》うべきか、いわゆる「父の菩提《ぼだい》」を吊《とむら》い得べきか。墓標は動かず、物いわねど、花筒《はなづつ》の草葉にそよぐ夕風の声、否《いな》とわが耳に囁《ささや》くように聞ゆ。これあるいは父の声にあらずや。
遊《ゆ》く水は再び還《かえ》らず、魯陽《ろよう》の戈《ほこ》は落日を招き還《かえ》しぬと聞きたれど、何人も死者を泉下より呼起《よびおこ》すべき術《すべ》を知らぬ限《かぎり》は、われも徒爾《いたずら》に帰らぬ人を慕うの女々《めめ》しく愚痴なるを知る、知って猶《なお》慕うは自然の情《じょう》なり。されど、われは徒爾に哭して慟する者にあらず、女《おんな》児《こども》のすなる仏いじりに日を泣暮《なきくら》す者にあらず。われは罪なき父の霊の、恵《めぐみ》ふかき上帝《かみ》の御側《みそば》に救い取られしを信じて疑わず、後世《ごせ》安楽を信じて惑わず、更に起《た》って我一身のため、わが一家のため、奮って世と戦わんとするものなり。哀悼《あいとう》愁傷、号泣慟哭、一|枝《し》の花に涙を灑《そそ》ぎ、一|縷《る》の香に魂《こん》を招く、これ必ずしも先人に奉ずるの道にあらざるべし。五尺の男子、空しく児女の啼《てい》を為《な》すとも、父の霊|豈《あに》懌《よろこ》び給わんや。あるいは恐る、日ごろ心|猛《たけ》かりし父の、地下より跳《おど》り出《い》でて我を笞《むちう》つこと三百、声を励まして我が意気地《いくじ》なきを責め、わが腑甲斐《ふがい》なきを懲《こら》し給わんか。
孔子いわずや、四海《しかい》皆|兄弟《けいてい》なりと、人誰か兄弟なきを憂いん。基督《クリスト》いわずや、わが天に在《いま》す父の旨《むね》を行う者はこれわが兄弟わが姉妹わが母なりと、人誰か父母なきを憂いん。ましてわれは今やこの父を失えるも、家に残れる母あり、出でて嫁げる姉あり、親戚あり、朋友あるに、何ぞ俄《にわか》に杖を失いし盲者の如く、水を離れし魚の如く、空しく慌て空しく悲むべき。父よ、冀《こいねがわ》くは我を扶《たす》けわれを導いて、進んで世と戦うの勇者たらしめよ、哀《かなし》んで傷《やぶ》らざるの孝子たらしめよ。窃《ひそ》かにかく念じて、われは漸く墓門を出でたり。出ずるに臨みてまたおのずから涙あり。湿《うる》める眼をしばたたきて見かえれば、そよ吹く風に誘われて、花筒に挿《はさ》みたる黄と紫の花相乱れて落ちぬ。鴉《からす》一羽、悲しげに唖々《ああ》と啼《なき》過《すぐ》れば、あなたの兵営に喇叭《らっぱ》の声遠く聞ゆ。
おぼつかなくも籬《かき》に沿い、樹間《このま》をくぐりて辿《たど》りゆけばここにも墓標新らしき塚の前に、一群《ひとむれ》の男女《なんにょ》が花をささげて回向《えこう》するを見つ、これも親を失える人か、あるいは妻を失えるか、子を失えるか、誠にうき世は一人《いちにん》のうき世ならず、家々の涙を運ぶこの青山の墓地、芳草《ほうそう》年々緑なる春ごとに、われも人も尽きぬ涙を墓前に灑ぐべきか。噫《ああ》。
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「文芸倶楽部」
1902(明治35)年6月号
初出:「文芸倶楽部」
1902(明治35)年6月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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