来りしなり。人生漸く半《なかば》を過ぎたるに、已に四人の叔に離れ、更に一人の叔母と姪を失いぬ。仏氏《ぶっし》のいわゆる生者《しょうじゃ》必滅《ひつめつ》の道理、今更おどろくは愚痴に似たれど、夜雨《やう》孤灯《ことう》の下《もと》、飜って半生|幾多《いくた》の不幸を数え来れば、おのずから心細くうら寂しく、世に頼《たより》なく思わるる折もありき。されど、わが家には幸に老《おい》たる父母ありて存すれば、これに依って立ち、これに依って我意を強うしたるに、測らざりき今またその父に捨てられて、闇夜に灯火《ともしび》を失うの愁《うれい》を来《きた》さむとは。悲《かなし》い哉《かな》。
 風樹《ふうじゅ》の嘆は何人といえども免れ難からんも、就中《なかんずく》われに於て最も多し。父は一度われをして医師たらしめんと謀《はか》りしが、思う所ありてこれを廃し、更に書を学ばしめたるも成らず、更に画を学ばしめたるもまた成らず、果《はて》は匙を投げて我が心の向う所に任せぬ。かくて我は何の学ぶ所もなく、何の能もなく、名もなく家もなく、瓢然《ひょうぜん》たる一種の道楽息子と成果てつ、家に在《あっ》ては父母を養うの資力なく、世に立《たっ》ては父母を顕《あら》わすの名声なし、思えば我は実に不幸の子なりき。泉下《せんか》の父よ、幸に我を容《ゆる》せと、地に伏して瞑目合掌すること多時、頭《かしら》をあぐれば一縷《いちる》の線香は消えて灰となりぬ。
 低徊|去《い》るに忍びず、墓門に立尽して見るともなしに見渡せば、其処《そこ》ここに散《ちり》のこる遅桜《おそざくら》の青葉がくれに白きも寂しく、あなたの草原には野を焼く烟《けむり》のかげ、おぼろおぼろに低く這《は》い高く迷いて、近き碑を包み遠き雲を掠《かす》めつ、その蒼《あお》く白き烟の末に渋谷、代々木、角筈《つのはず》の森は静に眠りて、暮るるを惜む春の日も漸くその樹梢《こずえ》に低く懸れば、黄昏《たそがれ》ちかき野山は夕靄《ゆうもや》にかくれて次第にほの闇《くら》く蒼黒く、何処《いずく》よりとも知れぬ蛙《かわず》の声|断続《きれぎれ》に聞えて、さびしき墓地の春のゆうぐれ、最《いと》ど静に寂しく暮れてゆく。
 思い出《い》ずれば古年《こぞ》の霜月の末、姉の児《こ》の柩《ひつぎ》を送りてここへ来りし日は、枯野に吠ゆる冬の風すさまじく、大粒の霰はらはら[#「はらはら
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