も鼻も口も揃っていた。なんでも芝口辺の鍛冶屋の女房であるとかいうことであった。
 そば屋の出前持や、わたしの父や、それらの人々の眼に映ったのっぺらぼうの女と、その水死の女とは、同一人か別人か、背負っていた子供が同じように盆燈籠をさげていたというのはよく似ている。勿論、七月のことであるから、盆燈籠を持っている子供は珍らしくないかも知れない。しかしその場所といい、背中の子供といい、盆燈籠といい、なんだか同一人ではないかと疑われる点が多い。いわゆる「死相」というようなものがあって、今や死ににゆく女の顔に何かの不思議があらわれていたのかとも思われるが、それも確かには判らない。

 明治七年の春ごろ、わたしの一家は飯田町の二合半坂に住んでいた。それは小さい旗本の古屋敷であった。
 日が暮れてから父が奥の四畳半で読書していると、縁側にむかった障子の外から何者かが窺っているような気勢《けはい》がする。誰だと声をかけても返事がない。起って障子をあけてみると、誰もいない。そんなことが四、五日あったが、父は自分の空耳かと思って、別に気にも留めなかった。
 ある晩、母が夜なかに起きて便所へ行った。小さいとい
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