に加わりたいという志願者が多いので、弥次兵衛も少しくその処置に苦しんだが、どうにかその役割も決定して、怪我人を戸板にのせて村の者四人にかつがせ、さらに四人の若侍がその前後を囲んで帰城することになった。あとには弥次兵衛と甚七をあわせて、七人の者が残されたわけである。
「馬妖記」にはその七人の姓名が列挙《れっきょ》してある。それは伊丹弥次兵衛正恒、穂積権九郎宗重、熊谷小五八照賢、鞍手助左衛門正親、倉橋伝十郎直行、粕屋甚七常定、神原茂左衛門基治で、年齢はいちいち記《しる》されていないが、十九歳の茂左衛門基治、すなわちこの「馬妖記」の筆者が一番の年少者であったらしい。この七人が三組に分れた。第一組は弥次兵衛と助左衛門、第二の組は権九郎と小五八、第三の組は伝十郎と甚七で、茂左衛門一人はこの次郎兵衛後家の家に残っていることになった。要するにここを本陣として、誰か一人は留守居をしていなければならないというので、最年少者の茂左衛門がその留守番を申付けられたのである。組々の侍には村の若者が案内者として二人ずつ附添い、都合四人ずつが一組となってここを出発する頃には、夜もいよいよ更けて来て、暗い大空はこの村
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