せつな》に感じたところでは、熊のような長い毛が一面に生えているらしかったというのである。
 その以上のことは判らなかったが、ともかくも一種の怪獣があらわれて、家々の飼馬を恐れさせ、さらに次郎兵衛後家を踏み殺したというのは事実であることが確かめられたので、甚七と市五郎とは満足して引揚げた。城へ帰る途中で、甚七は言い出した。
「しかし貴公、この事をすぐにみんなに吹聴《ふいちょう》するか。」
「それを俺も考えているのだが、むやみに吹聴して大勢がわやわや付いて来られては困る。いっそ貴公とおれと二人でそっと行くことにしようではないか。」
 いかなる場合にも人間には功名心《こうみょうしん》がある。甚七と市五郎も海馬探検の功名手柄を独り占めにしようという下心《したごころ》があるので、結局他の者どもを出しぬいて、二人が今夜ひそかに出て来ることに相談を決めた。
 三月もなかば過ぎて、ここらの春は暖かであった。あたかもきょうは午後から薄陰りして、おそい桜が風のない夕《ゆうべ》にほろほろ散っていた。
「今夜はきっと出るぜ。」
 二人は夜が来るのを待ちかねて、誘いあわせて城をぬけ出した。市五郎は鉄砲を用意して
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