から注意して窺っていると、毎晩ではないが、三日に一度か五日に一度ぐらいずつは、家々の飼馬《かいうま》が一度に狂い立って嘶くのである。水から出て来るらしい馬の声は普通の馬より鈍《にぶ》く大きい。あたかも牛と馬との啼き声をひとつにしたように響き渡って、それが二、三度も高く嘶くと、家々に繋がれているたくさんの馬はそれに応《こた》えるのか、あるいはそれを恐れるのか、一度に嘶いて狂い騒ぐのである。だんだん調べてみると、飼馬はかの怪しい馬の声を恐れるらしい。その証拠には、かの馬の声のきこえた翌日は、どこの馬もみな癇高《かんだか》になって物におどろき易くなる。こういうわけで、かの馬は直接になんの害もなすというではないが、家々の飼馬をおどろかすだけでもよろしくない。もうひとつには一種の好奇心もまじって、村では屈竟《くっきょう》の若者どもが申合せて、かの怪しい馬の正体を見届けようと企てた。
 勿論、それが本当の馬であるかどうかは判らないのであるが、仮りにそれを馬と決めておいて、かれらはそれを馬狩りと唱えた。馬狩りの群れは二、三人幾組にも分れて、川筋から里につづく要所要所に待ち伏せをしたが、月の明かるい夜にはかの嘶きが決して聞えないで、いつも暗い夜に限られているために、その正体を見届けるのが頗る困難であった。殊にそれが水から出て来るのか山の方から出て来るのか、その足跡がいろいろに乱れているので、確かなことは判らなかった。しかしその声は川の方からきこえ始めるような場合が多いので、それは海から川づたいに上《のぼ》って来るのであろうということになったが、かの馬は決して続けて啼《な》かない。続けて啼けば、その声をしるべに尋ね寄ることも出来るのであるが、その嘶くような吠えるような声は、最初から終りまで僅かに三声か四声である。したがって、声のする方角へ駈け付けても、そこにはもうそれらしい物の気配もしないのである。
 何分にも暗くてはどうにもならないので、かれらは松明《たいまつ》を持って出る事にすると、その夜には一度も嘶きの声が聞えなかった。怪しい馬は火の光りを恐れて姿を現さないらしいのである。火がなくては暗くて判らない。火があっては相手が出て来ない。まことに始末が悪いので、かれらは相談して一種の陥《おと》し穽《あな》を作ることにした。その通路であるらしい所に、二ヵ所ばかりの深い穴を掘り下げて、枯柴
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