。彼は暗夜にお福を誘い出して、突然かの女を路ばたに突き倒して、大きい石をその脇腹と思われるところに投げつけると、お福は二言といわずに息が絶えてしまった。そのあばらの骨の砕《くだ》けているのはそれがためであった。
相手の死んだのを見すまして、鉄作はその石を少しく離れたところへ運んで行った。証拠を隠してしまって、あくまでも海馬の仕業《しわざ》と思わせるたくみである。そうして、自分はそのままそっと立去るつもりであったが、彼はあたかもその時にほんとうの海馬に出逢った。これに胆《きも》を消して、うろたえ廻って逃げ出す途中、あやまってかの陥し穽に転げ落ちたのである。こうなってはもう仕方がないので、彼は救いに来てくれた人びとに向って、嘘と誠を取りまぜて話した。お福と一緒にここまで来た事と、海馬に出逢った事と、この二つが本当であるので、正直な村の人びとはお福が海馬に踏み殺されたことまでも容易に信じてしまったのである。ほんとうの海馬があたかもそこへ現れて来たのは、彼にとっては実に勿怪《もっけ》の幸いともいうべきであった。
こうして世間の眼を晦《くら》まして、彼は老いたる情婦を首尾よく闇から闇へ葬った後、さらに若い情婦を手に入れようと試みた。おらちも従弟同士の若い男を憎いとは思わなかったが、養い親と彼との関係を薄うす覚っていたので、素直にそれに靡《なび》こうともしなかった。その煮え切らない態度に鉄作は焦れ込んで、今夜もおらちをそっと呼び出して、納屋のかげで手詰めの談判を開いているところを、あたかも祖母のおもよに発見されたのであった。この場合、見付けられてはもちろん面倒であるので、彼はおもよの呼ぶ声をあとに聞き流して表へ逃げ出すと、四、五間さきで再び海馬に出逢ったのである。かれはお福の死について一|場《じょう》の嘘を作った。そうして、自分がその嘘の通りに死んだ。
茂左衛門もその懺悔《ざんげ》を聴いた一人であった。彼はその「馬妖記」の一挿話として、「本文には要なきことながら」と註を入れながら、鉄作の一条を比較的に詳しく書き留めてあるのをみると、その当時の武士もこの事件について相当の興味を感じたものと察せられる。
その夜の探検は不成功に終って、雨のまだ晴れやらない早朝に、七人の侍はむなしく城に引揚げた。そのなかで、ともかくも怪しい獣の毛をつかんでいる茂左衛門が第一の功名者であることは
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