した切っ先があたかもそれに触れたのかも知れない。茂左衛門自身もいっさい夢中であったので、何がどうしたのか、その説明に苦しむのであるが、ともかくも自分の手に怪しい獣の毛を掴んでいるのは事実である。彼はその毛を夢中でしっかり握りつめて、片手なぐりに斬って廻っていたものらしい。
「いや、なんにしてもお手柄だ。渡辺綱《わたなべのつな》が鬼の腕を斬ったようなものだ。」
今夜の大将ともいうべき伊丹弥次兵衛は褒めた。
四
もうひとつ発見されたのは、半死半生で路ばたに倒れている鉄作の姿であった。これも同じ家にかつぎ込まれて人びとの介抱をうけたが、その暁け方にとうとう死んだ。
「わしが海馬に蹴殺されるのは、お福の恨みに相違ない。」と、鉄作は言った。
彼は死にぎわにおもよに向って、怖ろしい懺悔をした。
お福は海馬に踏み殺されたのではなく、実は鉄作が殺したというのである。前にもいう通り、鉄作とおらちとは従弟同士で、そのおらちがお福の家の娘に貰われていった関係から、鉄作もしばしばそこへ出入りをして、次郎兵衛の死後にはいつか後家のお福と情《じょう》を通ずるようになったのである。勿論それは女の方から誘いかけた恋で、親子ほども年の違う二人のあいだの愛情が永く結びつけられている筈がなかった。殊にお福の貰い娘になっているおらちがやがて十六の春を迎えるようになって、鉄作のこころは次第にその方へ惹《ひ》かれて行った。それがお福の眼にもついて、たちまちに嫉妬のほのおを燃やした。たとい身腹《みはら》は分けずとも、仮りにも親と名のつく者の男を寝取るとは何事であると、お福は明け暮れにおらちを責めた。まして鉄作にむかっては、ほとんど夜叉《やしゃ》の形相《ぎょうそう》で激しく責め立てた。
おらちは身におぼえのない濡衣《ぬれぎぬ》であることを説明しても、お福はなかなか承知しなかった。母の手前、お福も表向きには何とも言うことは出来なかったが、蔭へまわっては執念ぶかくおらちをいじめて、時にはこんなことも言った。
「おまえのような奴は、いっそ海馬にでも踏み殺されてしまえ。」
たまらなくなって、おらちはそれを鉄作に訴えると、彼は年上の女の激しい嫉妬にたえ難くなっている折柄であるので、ふとおそろしい計画を思いついた。お福のいわゆる「海馬にふみ殺されてしまえ。」を、彼はそのまま実行しようと企てたのである
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