上らぬわ。今伯母様に叱られた、その白柄組の水野どのは、仲間のものを誘ひ合せて、今夜わが屋敷へまゐらるゝ筈ぢや。酔うたら又面白い話があらう。
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(風の音して桜の花ちりかゝる。)
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播磨 おゝ、散る花にも風情があるなう。どれ、そろ/\帰らうか。
權次權六[#「權次」と「權六」は横並びになっている] はあ。
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(權次は茶代を置く。娘は礼をいふ。播磨は行きかゝる。)
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   第二場

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番町青山家の座敷。二重屋体にて上《かみ》のかたに床の間、つゞいて襖。庭には飛び石。上の方に井戸ありて、井戸のほとりに大いなる柳を栽ゑたり。おなじ日の夕刻。

(上の方より庭づたひに、用人柴田十太夫が先に立ち、腰元お菊、お仙の二人出づ。ふたりは高麗焼《かうらいやき》の皿五枚を入れたる箱を持つ。)
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十太夫 これ、大切の御品ぢや。気をつけて持つてゆけ。よいか。
二人 かしこまりました。
十太夫 唯今お蔵から取出したばかりで、別に仔細もあるまいが、念には念を入れよと云ふこともある。お勝手へ持つて退《さが》るまでに兎もかくも一度吟味をいたさう。その箱をそれへ運べ。
二人 はい、はい。
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(三人は縁にあがる。お菊は先づ箱をあけて五枚の皿を出す。十太夫は眼鏡をかけて一々にあらためる。つゞいてお仙も五枚の皿を出す。十太夫はおなじく検《あらた》めてうなづく。)
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十太夫 よし、よし、十枚ともに別条ない。くどくも申すやうなれど、これは大切のお品ぢや。かならず粗相があつてはならぬぞ。
お仙 御用人様。この十枚のお皿が何うしてそのやうに大切なのでござりまする。
十太夫 そちは新参、詳しいわけをよく知るまいが、このお皿は高麗焼で、御先祖様から代々伝はるお家の宝ぢや。万一あやまつてその一枚でも打砕いたら厳しいお仕置、先づ命はないものと覚悟せい。
お仙 え。(顫へる。)
十太夫 ぢやによつて滅多に取出したことはないのぢやが、今宵は白柄組のお頭水野十郎左衞門様がお越しに相成るについて、殿様格別のお心入れ
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