之助も俄かにおとなしくなって、持っている血刀をからりと投げ捨てて、理右衛門に抱かれたままで土の上に坐った。
「吉田の親たちに頼まれて、因果をふくめて腹を切らせようと思って来たのだが、もう遅かった」と、理右衛門は嘆息しながら云った。「こうなっては仕方がない。幸之助、尋常に曳かれて行って、御法《ごほう》の通りになれ」
 幸之助は疲れ切ったように、無言で頭《こうべ》を垂れていると、長三郎は待ち兼ねたように訊いた。
「姉もここに居りますか」
「いや」と、理右衛門は頭《かぶり》をふった。「さっきも云う通り、姉はここにいない。幸之助ばかりだ」
「もし、瓜生の若旦那」と、吉五郎は喙《くち》をいれた。「あなたのお姉さまは……死骸になって江戸川から……」
「江戸川から……」と、長三郎は思わず叫んだ。
 理右衛門も幸之助も思い思いの心持で、悲痛の溜め息を洩らした。それに無関心であるのは片眼の少女ばかりで、彼女は幸之助のひと太刀に若い命を断たれて、しかも満足そうに其処に横たわっていた。故意か偶然か、彼女の片手は長三郎の袴の裾を掴んでいた。

     一五

 それから四日の後、音羽の旗本佐藤孫四郎は町奉行所へ呼び出された。寺の住職祐道は寺社奉行の名によって同じく呼び出された。祐道は出頭したが、孫四郎はその前夜に急病頓死という届け出があった。表向きは急病と云うのであるが、その死の自殺であることは後に判った。
 お近という女の死骸も江戸川に浮きあがった。吉五郎の鑑定通り、寺内で殺された女はやはりこのお近であった。
 中間の鉄造が吉五郎の罠にかかって、自分の知っている限りの秘密を口走った結果、黒沼幸之助のかくれ家が露顕《ろけん》したので、吉五郎は子分の兼松と共に、早駕籠を飛ばせて向島の堤下へ駈け付けたことは、前に記《しる》した通りである。幸之助ももう観念したとみえて、これも自分の知っている限りの秘密をいっさい申し立てた。
 祐道もさすがは出家だけあって、この期《ご》に及んでは悪びれずにいっさいを自白した。その他のお近、お冬、お北らはみな死んでいるので、女の側の事情はよく判らない点もあったが、ともかくも幸之助、祐道らの口供《こうきょう》を綜合して判断を下だすと、この事件の真相はまずは斯《こ》う認めるのほかは無かった。
 お近は前名をお亀といって、むかしは深川に芸妓勤めをしていた女である。それが金田という旗本の隠居に受け出されて、柳島の下屋敷に入り込んで、当座は何事もなく暮らしていたのであるが、お近は深川にいる頃から音羽の旗本佐藤孫四郎とも馴染《なじみ》をかさねていた。佐藤は二十五、六の独身者《ひとりもの》で、お近の心はそちらになびいていたが、何分にも金田にくらべると佐藤は小身であり、且は道楽者で身上《しんしょう》も悪いので、金田と張り合うだけの力はなく、お近は心ならずも柳島の屋敷へ引き取られてしまったのである。しかも二人の縁は切れないで、お近は柳島へ行った後も寺参りや神詣《かみもう》でにかこつけて、ひそかに佐藤と逢曳《あいび》きを続けていた。
 その秘密を金田の隠居に発見されて、事が面倒になって来たのと、一方の佐藤は長崎出役を命ぜられて西国《さいこく》へ旅立つことになったのとで、お近は遂に金田の隠居を殺害してその手箱から盗み出した三十両の金を路用に、佐藤のあとを追って行った。勿論、表向きは佐藤の屋敷へ入り込むことは出来ないので、長崎の町はずれに隠まわれて外妾のように暮らしているうちに、三年の月日はいつか過ぎて、佐藤は江戸へ帰ることになった。帰府の道中も同道しては人目《ひとめ》に立つので、お近は一と足おくれて帰って来て、そっと音羽の屋敷に忍び込んだ。
 一種の治外法権《ちがいほうけん》ともいうべき旗本屋敷に潜伏して、無事に月日を送っていれば、容易に町方《まちかた》の眼にも触れなかったのであるが、お近は江戸へ帰ると、間もなく更に新らしい恋人を見つけ出した。それは白魚河岸の吉田の次男幸之助である。吉田と佐藤とは母方の縁を引いている関係から双方が親しく交際していたので、お近も自然に幸之助と親しくなって、佐藤の眼をぬすんで新らしい恋人と逢曳きするようになったが、男は女よりも八歳の年下であるので、若い恋人に対するお近の愛情は猛火のように燃えあがった。彼女は男を逃がさない手段として、自分の秘密を幸之助に打ち明けて、万一変心するときは隠居殺しの共謀者としてお前を抱いてゆくと嚇した。こんにちと違って、この時代には斯《こ》ういう威嚇が案外に有効であったのである。たとい自分の無実が証明されるとしても、こんな女のかかり合いで奉行所の審問《しんもん》を受けたなどと云うことが世間に暴露《ばくろ》すれば、長い一生を暗黒に葬らなければならない。年の若い幸之助は飛んだ者にかかり合ったのを悔みながら、お近の威嚇を恐れてともかくもその意に従っていた。
 そのうちに黒沼伝兵衛の横死事件が起こった。かねて許嫁《いいなずけ》のような関係になっているので、幸之助は黒沼のむすめお勝の婿と定められて、音羽の御賄屋敷へ来ることになった。お近は恋人が近所へ来たのを喜んで、火の番の藤助の家をその逢曳きの場所と定めて幸之助をよび出していた。一方にはお近があり、一方にはまだ祝言こそしないがお勝という正式の妻もありながら、意思の弱い幸之助はさらに隣家の瓜生の娘お北と新らしい関係を結ぶようになったので、一人の男をめぐる女三人の関係が甚だ複雑になった。しょせん無事には済むまいとは知りながら、幸之助も今更どうすることも出来なかった。
 ここで住職祐道に就いて語らなければならない。彼は実はお近と同じ腹の兄であった。祐道が長男で、その次に女ひとり、男ひとり、お近は末子《ばっし》の四人|兄妹《きょうだい》であったが、幼年のころに両親に死に別れて、皆それぞれ艱苦《かんく》を嘗《な》めた。なかの男と女は早く死んで、祐道とお近だけが残った。祐道は幼い頃から深川の或る寺の小僧となって、一心に修行を積んだ末に、この音羽でも相当に由緒ある寺の住職となったのであるが、妹のお近は深川の芸妓に売られて、いわゆる泥水を飲む商売となった。しかも運命は不思議なもので、この寺の近所に住む佐藤孫四郎とお近とが一種の悪因縁を結ぶことになって、お近は主殺しの大罪を犯したのである。
 祐道は妹の罪を悔み嘆いて、彼女が再び江戸へ帰るのを待ち受けて、いさぎよく自首するように説き聞かせたが、この世に未練の多いお近は泣いて拒《こば》んだ。いっそ召連れ訴えをしようかとも思ったが、幼い時から共に苦労をして来た妹が自分の眼のまえに泣いている姿を見ると、祐道のこころもさすがに弱くなった。み仏に対して済まぬ事とは万々知りながら、彼は罪ある妹をそのまま見逃《みの》がして置くことにしたが、心は絶えずその呵責《かしゃく》に苦しめられていると、妹はさらに第二、第三の罪をかさねた。
 寺社奉行の訊問に対して、祐道の申し立てたところによると、去年の秋以来、暗夜に白い蝶を飛ばしたのはお近の仕業《しわざ》であると云うのである。お近はなぜそんな怪しいことを企てたか。何分にも死人に口無しで、単に祐道の片口《かたくち》に拠《よ》るのほかは無いのであるが、彼は左のごとく陳述した。
「妹は長崎に居ります間に、唐人屋敷の南京《なんきん》人から或る秘密を伝えられたそうで、暗夜に白い蝶を飛ばして千人の眼をおどろかせれば、いかなる心願《しんがん》も成就《じょうじゅ》すると云うのでござります。われわれの仏道から見ますれば、もとより一種の邪法に相違ござりませんが、妹は深くそれを信仰しまして、江戸へ帰りましてから其の邪法を行なって居りました。その心願はおのれが過去の罪を人に覚られず、黒沼幸之助と末長く添い遂げらるるよう、併《あわ》せてその邪魔になる佐藤孫四郎の命を縮めるよう……詰まりは恋に眼が眩《くら》んで、白蝶の邪法を行なうことになったので[#「なったので」は底本では「なったの」]ござります。佐藤にも罪はありますが、多年の馴染といい、殊に長崎以来、自分を隠まってくれた義理もありまするに、新らしい恋人の為にその命を縮めようと企てるなど、まことに如夜叉《にょやしゃ》のたとえを其の儘でござります。しかし自分は女の身でありますから、暗夜に蝶を飛ばすなどと云うことは思うようにも参りませんので、火の番の藤助に金銭をあたえまして、風の吹く夜に蝶を飛ばせていたのでござります。藤助は火の番の役がありますので、夜中そこらを徘徊して居りましても、誰も怪しむ者もござりません。藤助にはお冬という片眼の娘がありまして、これが生まれ付き素ばしこい人間でありますので、蝶を飛ばす役はお冬が勤め、父の藤助はその後見《こうけん》を致して居ったようでござります。その蝶は……秘伝と申して誰にも洩らしませんでしたが、何か唐《から》渡りの薄い絹のような物で作りまして、それに一種の薬を塗ってありますので、暗いなかでも白く光るのでござります。音羽の近辺ばかりでは、人に覚られる虞《おそ》れがありますので、時々には他の土地へも参ったようでござりました。右の次第で、その蝶に毒があろうとは思われません。それを見て病気に罹《かか》ったなどと申しますのは、驚きの余りに発熱でも致したのでござりますまいか。それとも、その塗り薬に何かの毒でも混じてありましたか、それはわたくしも存じません。又お近が火の番の藤助とどうして心安くなりましたか。それもわたくしは存じません。佐藤の屋敷も以前は勝手|不如意《ふにょい》でござりましたが、長崎出役以来、よほど内福になったとか申すことでござります」
 黒沼伝兵衛は何者に殺されたか、わが寺門前の出来事ながら自分は一向に知らないと祐道は云った。しかし大かたは藤助親子の仕業《しわざ》で、何かの毒薬を塗った針のような物で刺されたのであろうと彼は説明した。いずれにしても、自分の寺内の墓地を根城《ねじろ》にして、世間をさわがすような事を繰り返すのは甚だ迷惑であるので、祐道はお近らに対して幾たびか意見を加えたが、彼等は一向に肯《き》かなかった。そのうちに、白い蝶の噂がいよいよ高くなって、町方からも探索の手が廻ったらしいので、祐道の心はますます苦しめられた。お近と幸之助が藤助の家から帰る途中で、町方らしい者に追われて危く逃《の》がれたなどという噂を聴くたびに、彼も毒針で胸を刺されるように感じた。
 町方に追われて以来、気の弱い幸之助は自分の屋敷へ帰られなくなって、佐藤の屋敷に身を隠すことになったが、それを機会にお近はさらに一策を案出して、自分の恋がたきのお北を誘い出した。その使を頼まれたのは例の藤助で、彼は幸之助が佐藤の屋敷に忍んでいることをお北に告げて、本人もあなたに一度逢いたいと云っているから是非来てくれと巧みに欺いて連れ出したのである。連れ出されてお北はうかうかと佐藤の屋敷へ入り込むと、待ち受けていたお近はさらに彼女を奥の古土蔵のうちへ案内して、そこに押し籠めてしまった。自分の手もとに監禁して置けば、お北と幸之助の逢う瀬は絶えると思ったからである。
 こうした悪業《あくぎょう》がそれからそれへと続くので、祐道ももう決心した。彼は妹が自分の寺へ来たのを捕えて、おまえのような悪魔はしょせん救うべき道はないから、どうでも自首して出ろと厳重に云い渡した。もし飽くまでも不得心ならば、帝釈《たいしゃく》が阿修羅《あしゅら》の眷族《けんぞく》をほろぼしたと同じ意味で、兄が手ずから成敗するからそう思えと、怒りの眼に涙をうかべて云い聞かせた。その決心の色が凄まじいので、お近も一旦は得心して、あしたは兄に連れられて奉行所へ自首して出ると答えた。
 それでもまだ不安であるので、祐道は妹にむかって、その覚悟が決まった以上はふたたび佐藤の屋敷へ帰るな、今夜はこの寺へ泊まって行けと命令すると、お近は承知して泊まったが、果たして夜なかにそっと抜け出そうとしたので、大かたそんな事であろうと内々警戒していた祐道は、すぐに追いかけて庭さきで取り押さえようとした。たがいに世間を
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