けるために、徳利を取って酌をしてやった。

     一四

 姉のお北の死骸が江戸川に浮かびあがった時、弟の瓜生長三郎は向島の堤下《どてした》をあるいていた。
 彼はきのうも姉のゆくえを尋ねあるいて、本所まで来たのであるが、日が暮れたので途中から帰った。そうして、親子相談の末、きょうも、長三郎は小松川から小梅、綾瀬、千住の方面に向かい、父の長八も非番であるので、これは山の手の方角に向かうことになった。今と違って、その時代の人々は親類縁者の義理をかかさず、それからそれへと遠縁の者までもふだんの交遊をしているので、こういう場合には心当たりがすこぶる多く、殊に交通不便の時代であるから、親類縁者を一巡さがし廻るだけでも容易でなかった。
 長三郎はまず小松川と小梅の縁者をたずねると、どこにも姉のすがたは見えなかった。かえって先方では寝耳に水の家出沙汰におどろかされて、長三郎にむかって前後の事情などを詳《くわ》しく詮議した。それらのために案外に暇取って、小梅を出たのは、もう七ツ(午後四時)を過ぎた頃であった。
 旧暦の二月なかばであるから、春の彼岸《ひがん》ももう近づいて、寺の多い小梅のあたりは
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