ので、そのまま這い起きて羽織をかさねた。例の物音が気になるので、彼はそっと縁側へ出てみると、庭さきはもう綺麗に掃いてあって、そこで掴み合いのあったらしい形跡は残されていなかった。それでも彼は庭下駄を突っかけて、覚束《おぼつか》ない足どりで庭に降りた。
 ゆうべの風はいつか吹きやんで、今朝はうららかに晴れていた。庭のまん中にある桜の大樹も、もうひと雨でほころびそうに紅《あか》らんで、春をよろこぶ小鳥の声が賑やかに聞こえた。よく見ると、その木の下には古い苔《こけ》を踏み荒らした足跡が残っている。怪しい物音は自分の空耳《そらみみ》でなかったことを確かめて、留吉は又もや独りで笑いながら、身を屈《かが》めてそこらあたりを見まわしたが、別にこれぞという物も見いだされなかった。
 痛むからだを我慢して、さらに墓場の方へ行きかかる時、ふと見かえると住職の祐道が法衣《ころも》すがたで自分のうしろに突っ立っていたので、留吉はすこし慌てながら挨拶すると、祐道はその蒼ざめた顔に笑みを含みながら云った。
「お痛み所はいかがですな」
「おかげさまで、よほど楽になりました」
「それは結構でござる。まあ、ご大切になさ
前へ 次へ
全165ページ中111ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング