のごとく陳述した。
「妹は長崎に居ります間に、唐人屋敷の南京《なんきん》人から或る秘密を伝えられたそうで、暗夜に白い蝶を飛ばして千人の眼をおどろかせれば、いかなる心願《しんがん》も成就《じょうじゅ》すると云うのでござります。われわれの仏道から見ますれば、もとより一種の邪法に相違ござりませんが、妹は深くそれを信仰しまして、江戸へ帰りましてから其の邪法を行なって居りました。その心願はおのれが過去の罪を人に覚られず、黒沼幸之助と末長く添い遂げらるるよう、併《あわ》せてその邪魔になる佐藤孫四郎の命を縮めるよう……詰まりは恋に眼が眩《くら》んで、白蝶の邪法を行なうことになったので[#「なったので」は底本では「なったの」]ござります。佐藤にも罪はありますが、多年の馴染といい、殊に長崎以来、自分を隠まってくれた義理もありまするに、新らしい恋人の為にその命を縮めようと企てるなど、まことに如夜叉《にょやしゃ》のたとえを其の儘でござります。しかし自分は女の身でありますから、暗夜に蝶を飛ばすなどと云うことは思うようにも参りませんので、火の番の藤助に金銭をあたえまして、風の吹く夜に蝶を飛ばせていたのでござります。藤助は火の番の役がありますので、夜中そこらを徘徊して居りましても、誰も怪しむ者もござりません。藤助にはお冬という片眼の娘がありまして、これが生まれ付き素ばしこい人間でありますので、蝶を飛ばす役はお冬が勤め、父の藤助はその後見《こうけん》を致して居ったようでござります。その蝶は……秘伝と申して誰にも洩らしませんでしたが、何か唐《から》渡りの薄い絹のような物で作りまして、それに一種の薬を塗ってありますので、暗いなかでも白く光るのでござります。音羽の近辺ばかりでは、人に覚られる虞《おそ》れがありますので、時々には他の土地へも参ったようでござりました。右の次第で、その蝶に毒があろうとは思われません。それを見て病気に罹《かか》ったなどと申しますのは、驚きの余りに発熱でも致したのでござりますまいか。それとも、その塗り薬に何かの毒でも混じてありましたか、それはわたくしも存じません。又お近が火の番の藤助とどうして心安くなりましたか。それもわたくしは存じません。佐藤の屋敷も以前は勝手|不如意《ふにょい》でござりましたが、長崎出役以来、よほど内福になったとか申すことでござります」
 黒沼伝兵衛は何者に殺されたか、わが寺門前の出来事ながら自分は一向に知らないと祐道は云った。しかし大かたは藤助親子の仕業《しわざ》で、何かの毒薬を塗った針のような物で刺されたのであろうと彼は説明した。いずれにしても、自分の寺内の墓地を根城《ねじろ》にして、世間をさわがすような事を繰り返すのは甚だ迷惑であるので、祐道はお近らに対して幾たびか意見を加えたが、彼等は一向に肯《き》かなかった。そのうちに、白い蝶の噂がいよいよ高くなって、町方からも探索の手が廻ったらしいので、祐道の心はますます苦しめられた。お近と幸之助が藤助の家から帰る途中で、町方らしい者に追われて危く逃《の》がれたなどという噂を聴くたびに、彼も毒針で胸を刺されるように感じた。
 町方に追われて以来、気の弱い幸之助は自分の屋敷へ帰られなくなって、佐藤の屋敷に身を隠すことになったが、それを機会にお近はさらに一策を案出して、自分の恋がたきのお北を誘い出した。その使を頼まれたのは例の藤助で、彼は幸之助が佐藤の屋敷に忍んでいることをお北に告げて、本人もあなたに一度逢いたいと云っているから是非来てくれと巧みに欺いて連れ出したのである。連れ出されてお北はうかうかと佐藤の屋敷へ入り込むと、待ち受けていたお近はさらに彼女を奥の古土蔵のうちへ案内して、そこに押し籠めてしまった。自分の手もとに監禁して置けば、お北と幸之助の逢う瀬は絶えると思ったからである。
 こうした悪業《あくぎょう》がそれからそれへと続くので、祐道ももう決心した。彼は妹が自分の寺へ来たのを捕えて、おまえのような悪魔はしょせん救うべき道はないから、どうでも自首して出ろと厳重に云い渡した。もし飽くまでも不得心ならば、帝釈《たいしゃく》が阿修羅《あしゅら》の眷族《けんぞく》をほろぼしたと同じ意味で、兄が手ずから成敗するからそう思えと、怒りの眼に涙をうかべて云い聞かせた。その決心の色が凄まじいので、お近も一旦は得心して、あしたは兄に連れられて奉行所へ自首して出ると答えた。
 それでもまだ不安であるので、祐道は妹にむかって、その覚悟が決まった以上はふたたび佐藤の屋敷へ帰るな、今夜はこの寺へ泊まって行けと命令すると、お近は承知して泊まったが、果たして夜なかにそっと抜け出そうとしたので、大かたそんな事であろうと内々警戒していた祐道は、すぐに追いかけて庭さきで取り押さえようとした。たがいに世間を
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