の方を見返りながら、これも丁寧に会釈《えしゃく》した。「それにしても、夜中どうしてこの墓地へおはいりなされた。なにか御用でござるか」
住職の物云いは穏かであるが、その眼の怪しく光っているのを、吉五郎は見逃がさなかった。
初対面の住職はもう四十五、六歳であろう。色の蒼白い痩形の一種の威厳を具えたように見える人柄であった。彼は何事も知らないのであろうか、あるいは何かの秘密を知っているのであろうか。それを確かめない以上は、迂闊《うかつ》な返事も出来ないので、吉五郎は用心しながら答えた。
「実はここの火の番の藤助という者の行くえを探して居りますと、今夜こちらの御門前でその姿を見付けましたので、取り押さえて一旦は縄をかけたのですが、又どこへか逃がしてしまいましたので、それを探しにお墓場の方へまいります途中、なにぶんにも暗いので、足許に倒れている石塔につまずきまして……」
「左様でござりましたか。火の番の藤助はわたくしも識って居りますが、あなた方のお縄にかかりながら又それを抜けて逃げるとは、見掛けによらない大胆者でござるな。して、藤助に何か御詮議の筋があるのでござりますか」
「藤助は先月以来、行くえが知れないのでございます」
「それはわたくしも聴いて居りますが……。では、藤助は何かうしろ暗いことでもあって、すがたを隠しているのでござりますな」
そらとぼけてそんなことを云うのか、或いはまったく知らないのか。吉五郎はその判断に苦しみながらあいまいに答えた。
「うしろ暗いことがあるか無いか、それは調べてみなければ判りませんが、いずれにしても駈落者《かけおちもの》は一応の詮議を致さなければなりませんので……。まして世間へは駈け落ちと見せかけて、我が家の近所にうろ付いているなぞは、潔白な人間のおこないでは無いように思われますので、ともかくも取り押さえようと致しますと、案外に手向いを致しますので、よんどころなくお縄をかけたのでございます」
「ごもっともで……。そこで、その藤助がこの寺の墓地へ逃げ隠れたと仰しゃるのですか」と、住職はまた訊《き》いた。
「今も申す通り、なにぶん暗いので確かなことは判りませんが、もしやと思いまして……」
「では、確かにこの寺内へ逃げ込んだというお見込みが付いたわけでも無いのですな」
このとき納所が茶と菓子を運んで来たので、それを機《しお》に住職は又あらた
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