「わたくしももう三度見ましたが……」と、源蔵も不思議そうに云った。「まったく不思議ですよ。去年の暮頃から、時々に見た者があると云いますがね。この寒い時節に蝶々が生きている筈がありませんや、おまけに暗い晩に限って飛ぶというのは、どうもおかしいんですよ」
武家の子とはいいながら、若い娘たちはなんとなく薄気味悪くなって、夜風がひとしお身にしみるように感じられた。
「蝶々はどっちの方へ飛んで行きました」と、源蔵はまた訊いた。
「お寺のなかへ……」
「ふうむ」と、源蔵は窺うように墓地の方を覗いたが、そこには何かの枯れ葉が風にそよぐ音ばかりで、新らしい墓も古い墓も闇の底に鎮まり返っていた。
提灯の火が又ひとつあらわれた。拍子木《ひょうしぎ》の音もきこえた。火の番の藤助という男がここへ廻って[#「廻って」は底本では「廻つて」]来たのである。三人がここに立ち停まっているのを見て、藤助も近寄って来た。
「なにか落とし物でもしなすったかね」
彼も三人を識っているのである。源蔵から白い蝶の話を聞かされて、藤助も眉をよせた。
「その蝶々はわたしも時々に見るがな。なんだか気味がよくない。今夜はこの寺の墓場へ飛び込んだかね」
「誰かの魂《たましい》が蝶々になって、墓の中から抜け出して来るんじゃないかね」と、源蔵は云った。
「なに、墓から出るんじゃない、ほかから飛んで来るんだよ。墓場へはいるのは今夜が初めてらしい」と、藤助は云った。
「だが、蝶々が何処から飛んで来て、どこへ行ってしまうか、誰も見とどけた者は無い。第一、あの蝶々はどうも本物ではないらしいよ」
「生きているんじゃ無いのか」
「飛んでいるところを見ると、生きているようにも思われるが……。わたしの考えでは、あの蝶々は紙でこしらえてあるらしいね。どうも本物とは思われないよ」
聴いている三人は又もや顔を見あわせた。
「わたしもそこまでは気が付かなかったが……」と、源蔵はいよいよ不思議そうに云った。「紙で拵《こしら》えてあるのかな。だって、あの蝶々売が売りに来るのとは、違うようだぜ」
「蝶々売が売りに来るのは、子供の玩具《おもちゃ》だ。勿論、あんな安っぽい物じゃあないが、どうも生きている蝶々とは思われない。白い紙か……それとも白い絹のような物か……どっちにしても、拵え物らしいよ。だが、その拵え物がどうして生きているように飛んで歩くのか
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