と思って、泣く泣く我慢していたと云いますから、よっぽどうまく男に瞞《だま》されていたものと見えます。
 どう考えても幾次郎はひどい奴で、体《てい》よくお大を追い払って、百八十両の金を着服《ちゃくふく》して、自分はなんにも知らない顔をして和泉屋に残っている。忠義者の親父に引きかえて、こいつはよくよくの悪者です」
「怖ろしい奴ですね」と、わたしは嘆息した。「そこで、一方のしん吉はどうしたんです」
「こいつも亦ひどい奴で、幾次郎といい取組ですよ」と、老人もまた嘆息した。「伊豆屋という酒屋の女房お八重は、前にも云う通り、大きい子供の三人もありながら、派手づくりで出歩くような女ですから、どうで碌な事はしていまいと思っていると、案のとおり落語家のしん吉に浮かれて方方で逢い引きをしている。それでも上手にやっていたと見えて、近所へは知られなかったのですが、これも女が年上であるだけに熱度がだんだんに高くなる。いくらお人好しでも亭主がある以上、しん吉と思うように逢うことが出来ないので、これも駈け落ちの相談、ちょうど和泉屋の女房とおなじ行き方です。
 この方は大抵お判りでしょうが、府中の方角へしん吉が稼ぎに
前へ 次へ
全51ページ中46ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング