なかったので、夜が明けてから寝床にはいって午《ひる》過ぎに起きた。これでは明るいうちに江戸へはいれまいと云うので、八ツ(午後二時)過ぎにここを出て、二人は調布に泊まることになった。いずれも二十二、三の若い同士であるので、唯の宿屋には泊まらないで、甲州屋という女郎屋にはいり込んだ。
ここは友蔵の娘が奉公している店で、そのお国が清七の相方《あいかた》に出た。お浅という女が幾次郎に買われた。お国はそのとき二十歳《はたち》で、この店の売れっ妓《こ》であったが、見すみす一夜泊まりと判っている江戸の若い客を特別に取り扱ったらしく、その明くる朝は互いに名残りを惜しんで別れた。
江戸には遊び場所もたくさんある。殊に眼のさきには、新宿をも控えていながら、清七はお国のことを忘れ兼ねて、店の方をどう云い拵えたか知らないが、その後もふた月に一度ぐらいは甲州屋へ通《かよ》っ[「っ」は底本では「つ」と誤植]て来た。その当時の甲州街道でいえば、新宿から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里二十四丁、あわせて四里の道を通って来るのであるから、相手のお国はいよいよ嬉しく感じたらしい。こうして一年あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人のあいだに身請けの相談が始まった。
こうなると親にも打ち明けなければならないので、お国は父の友蔵を呼んで相談すると、友蔵はよろこんで承知した。しかし江戸の客が身請けをするなぞと云えば、主人も足もとを見て高いことを云うに相違ないから、おれが直々《じきじき》に掛け合って、親許身請けと云うことにして、十五両か二十両に値切ってやる。ともかくもその清七という男に二十両ばかりの金を持たせて来いと教えた。
その教えに従って、清七は二十五両ほどの金を持って、府中の友蔵をたずねて行くと、友蔵はおとなしい清七をだまして、その金をまき上げてしまった。そうして、十五両や二十両の端下金《はしたがね》で大事の娘をおめえ達に渡されるものか、娘がほしければ別に百両の養育料を持って来いとそらうそぶいた。それでは約束が違うと争ったが、清七は友蔵の敵でない。果てはさんざんに撲《なぐ》られて表へ突き出された。
くやし涙に暮れながら甲州屋へもどった清七は、お国とどういう相談を遂げたのか知らないが、その夜のうちに甲州屋をぬけ出して多
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