摩川の河原に出た。水が浅いので死ねないと思ったのであろう。お国が持ち出した剃刀《かみそり》で、男は女の喉《のど》を突いた。さらに自分の喉を突いた。それでも直ぐには死に切れなかったらしく、血みどろの二人は抱き合ったままで、浅瀬にすべり込んで倒れているのを、明くる朝になって発見された。別に書置らしい物は残されていなかったが、二人が合意の心中であることは疑うまでもなかった。
 それは去年の八月、河原の蘆《あし》の花が白らんだ頃の出来ごとで、若い男女をむごたらしい死の淵《ふち》に追いやったのは、友蔵の悪法に因ることが自然に世間にも知れ渡ったが、相手が悪いので甲州屋でも表向きの掛け合いをしなかった。それをいいことにして、友蔵は平気で遊び暮らしていたが、その以来、さなきだに評判の悪い友蔵はいよいよ土地の憎まれ者になった。お国と清七の幽霊が恨みを云いに出るという噂も立てられた。友蔵は昼間こそ平気な顔をしているが、夜は血だらけの幽霊ふたりに責められて、唸って苦しむなどと誠しやかに云い触らす者もあった。
 宿屋の女中らの話は先ずこうである。成程ひどい奴だと半七らも云ったが、お国と清七が合意の心中である以上、表向きには友蔵をどうすることもできないのは判っているので、その上の詮索もしなかった。明くる朝、宿屋を立って、宿《しゅく》のはずれへ来かかると、きのうの男の児が二、三人の友達と往来に遊んでいるのを見付けたので、幸次郎は声をかけた。
「おい、おい。お化けの出る家《うち》と云うのは何処だえ」
「あすこだよ」と、男の児は指さして教えた。それは七、八軒さきの小さい茅葺《かやぶき》屋根の田舎家で、強い風には吹き倒されそうに傾きかかっていた。その軒さきには大きい槐《えんじゅ》の樹が立っていた。
 どうで通り路であるから、その家の前を行き過ぎながら、三人は横眼に覗いてみると、槐の樹の股に一羽の大きい鵜がつないであって、その足に「うりもの」としるした紙片《かみきれ》が結び付けられていた。それを幸いと、善八は立ち寄って呼んだ。
「もし、この鳥は売り物ですかえ」
 うす暗い奥にはひとりの男が衾《よぎ》をかぶって転がっていたが、それでも眼を醒ましていたと見えて、直ぐに半身《はんみ》を起こして答えた。
「むむ、売り物だよ」
「幾らですね」
「三|歩《ぶ》だよ」
「高《た》けえね」
「なに、高けえことがあるも
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