、今になって考えると、よくもあんなに働けたと思う位です。
その二十三日の朝のことでした。本所|竪川《たてかわ》通り、二つ目の橋のそばに屋敷を構えている六百五十石取りの旗本、小栗昌之助の表門前に、若い女の生首《なまくび》が晒《さら》してありました。女は年ごろ二十二、三で、顔にうす痘痕《あばた》はあるが垢抜けのしたいい女。どう見ても素人らしくない人相、髪は散らしているので、どんな髷《まげ》に結っていたか判りません。その首は碁盤の上に乗せてありました」
「碁盤……。薄雲の碁盤ですか」と、わたしはすぐに訊き返した。
「そうです。例の薄雲の碁盤です」と、老人はうなずいた。「勿論それと知れたのは後のことで、そのときは何だか判らず、ただ立派な古い碁盤だと思っただけでしたが、なんにしても女の生首を碁盤に乗せて、武家の門前に晒して置くなどは未曾有《みぞう》の椿事で、世間でおどろくのも無理はありません。それに就いて又いろいろの噂が立ちました。
前にも申す通り、なにぶん血なまぐさい世の中ですから、人間の首も今ほどには珍らしく思われない。現にこの六月頃にも、浪人の首二つが両国橋の際《きわ》に晒されていた事
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