勢屋の旦那は万力にたいへん力を入れて、本場所は勿論ですが、深川で花相撲のある時なんぞも、毎日見物に出かけて大騒ぎ。万力もいい旦那を持って仕合わせだと、みんなに羨まれていますよ」
「伊勢屋のほかに抱え屋敷はねえのか」
「十万石の抱え屋敷があったのですが、可哀そうにお出入りを止められてしまって、今じゃあ伊勢屋が第一の旦那場です。万力が抱え屋敷をしくじったのも、まあ伊勢屋の為ですから、伊勢屋も猶さら万力の世話をしてやらなけりゃあならない義理もあると云うわけで……」
ことしの三月、伊勢屋の亭主由兵衛は万力を連れて三州屋へ来たが、花見どきではあり、天気はいいので、大抵の芸者はみな出払って、お馴染のお俊も家にいなかった。しかし前からの約束でもないので、由兵衛はそれをかれこれ云うほどの野暮《やぼ》でもなかった。ほかの芸者二人と万力とを連れて、屋根船を徳次に漕がせて大川をのぼった。向島から堤《どて》へあがって、今が花盛りの桜を一日見物して、日の暮れる頃に漕ぎ戻って来ると、あいにくに桟橋のきわには二、三艘の船が落ち合って、伊勢屋の船を着けることが出来ない。船頭同士が声を掛け合って、伊勢屋の一行は前の船
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