「それでも私たちには判らない事がいろいろあります」と、わたしはまだ手帳をひろげていた。「そこで、伊勢屋の主人を調べたら、どんなことを申し立てたんです」
「さすがは大家《たいけ》の主人だけに、何もかも正直にはきはきと答えました。万力は抱え屋敷に申し訳ないと云って、腹を切ろうとまで覚悟したのを、由兵衛がいろいろになだめて、まあ無事に済ませたのだそうです。それからお俊を引いて本所に世帯を持たせ、いわゆる囲い者にして、由兵衛が世話をしていました。前にも申す通り、お俊は鼠が大嫌い、その本所の家に鼠が出て困るというので、例の碁盤を持ち込んだのですが、由兵衛の話では不思議に鼠が出なくなったと云うことです。
それで小半年は何事もなかったのですが、十一月頃になって、お俊は頻りに何処へか引っ越したいと云う。そこで、浅草の駒形《こまかた》の方に借家をさがして、十一月二十三日には引っ越す筈になったので、例の碁盤はいったん伊勢屋へ返すことになりました。その前日の二十二日の朝、万力が伊勢屋へ来た時にその話を聞いて、それじゃあ私が取って来ましょうと云って気軽に出て行きました。
万力はそれぎり帰って来なかったが、明くる二十三日は引っ越しの当日なので、伊勢屋から手伝いの人を出してやると、一つ目の橋のきわに万力が待っていて、お俊さんはもう駒形へ行っているから、構わずに道具を搬《はこ》び出してくれと云って、自分はどこへか立ち去ってしまいました。なんにも知らない手伝いの連中は家主の酒屋にことわって、お俊の家財をどしどし積み出して、駒形の引っ越しさきへ送り込むと、ここにもお俊は来ていない。まるで狐に化かされたような始末です。
午《ひる》過ぎになってもお俊の姿は見えないので、手伝いの連中も待ちくたびれて、深川の伊勢屋へ知らせに行きました。それは二十三日の七ツ(午後四時)近い頃で、もう其の頃には小栗の屋敷の噂が深川へも響いていました。そこで、由兵衛ははっ[#「はっ」に傍点]と思ったが、もう遅い。万力はやはり姿を見せないので、何が何やら判らない。迂闊に立ち騒いでは外聞にも拘わるので、ひそかに胸を痛めながら由兵衛はぼんやりと二、三日を暮らしていた。そのほかの事はなんにも知らないと云うのです。
こう云うと、ひどく手鈍《てぬる》いようですが、相当の大家では世間の外聞というものを気にかけます。殊にそれが妾の一件
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